私の#metoo

#metoo

複雑な気持ちで眺めている。

私もそこまで酷くなくても#metooでもあるし、だけど、私を守ってくれたのもまた、いつでも男性だったからだ。

20歳を過ぎた頃、私は男性に嫌悪を覚え始めた。
彼氏はいた。
勝手に家を調べて家まで押しかけてくるやつがいる、毎晩、電話をかけてくるバカがいる、夜道を帰れば追いかけられる。
怖かったり迷惑だったりしたけれど、母は私を怒った。
その中の何人かは、仕事先のクライアントが混じっていた。
仕事先では気にかけて守ってくれた男性も同じようにいた。

私の最初の結婚は早かったが、母は言った。
あなたはいつか、男性に刺されるか事件に巻き込まれるのではないかと思っていた。
だから、早く結婚することになって安心した。


20代後半でまた会社に所属して働き始めた後、同じような目に再びあったし、また、見た。
毎日、セクハラするために事務所を訪れるクライアントもいた。
周囲は知っていた。
会社にも報告してあった。
あまりにも腹が立っていたけれど、私はどこにも行けなかった。
それで、すけべ心をいいように利用することで腹の虫を納めていた。

権力者だったので、誰も直接注意はできなかったけれど、ただ、私の場合は、気にかけて守ってくれる男性がいつも同じようにいた。
その時は、数人いた。
あとは、服を脱がされることはなかったから。
でも、不愉快きわまりなかった。
その人が辞めた時、心底ホッとした。
また、その人がそのあと、大変なことになったのを風の噂で聞いた時、天罰だと思った。
相当、女性から恨みをかっていただろうから。

年齢を重ね、役職が上がると、そういう目にあうことは減ったので、年を取るのはいいことだと思った。


だいたい弱い立場にある若い女性に関係すること。
自分の部下が同じようなことにあった時、夜中に、社長をメールで叩き起こした。
会社で働いていたときに、私が一番腹を立てたのは、その日だ。
それを女性にした男性もバカの極みだと思ったけれど、周囲の男性のそれに対する対応が許せなかった。
一体、女性をなんだと思っているのだろう?全員バカなんじゃないかと思った。
一人を除いて。やはり例外の男性は一人いた。


私には不思議だ。
男性とひとくくりにしていいのかどうか、私にはよくわからない。
「男とはそういうものだ」という意見もあるけれど、「そうではない男」がたくさんいることも私は知っている。
個人の話なのだろうか?と考えてしまう。

そして、#metooのようなことが起きるとき、いつも怯え縮こまるのは、そういうことはしない男性で、そういうことをする男性はきっと気にもしない。

守って、そう思う。
女性がどんなに声を上げようと、そこから女性を守ることができる力を持っているのも、私が見てきた限り、また男性だ。

「そういう男」と「そうではない男」の間にどんな違いがあるのかはわからない。
権力を持てば、誰でも「そういう男」になるのかどうかもわからない。

だから、私は、「そうではない男」が「そうではない男」のままで、どんどん偉くなって、権力を持ってくれることを祈る。

「そういう男」に共通していたのは、幸せそうではないことだった。
だから、どんどん幸せな男性が増えることを祈る。

それが、私の#metoo。