もうひとつの白い砂浜と七色の海

「それは、ブルーオーシャンだ。君は、さっきからブルーオーシャンの話をしている。君の物の考え方はそれだ」

7年くらい前、夫が私にそう言った。

ブルーオーシャン、という単語をそれまで私は知らなかった。
青い海?

私達はその頃、夫が元々住んでいた部屋で一緒に暮らし始めた。
当時、夫は小さな本屋さんが開けるくらいのビジネス関連の自己啓発本を持っていた。
私は、自分は、自己啓発の本は読むと眠くなる。
私の本を並べるスペースも必要だったので、私は、それらの本をほどなく売り払った。
お片づけの仕方が書いてある本を除いて。(いまだに読んでいない)

夫は、私の話は、本に書いてあることが多いと言った。
どれも心理学がベースにあるだろうから、そりゃそうだろうと私は思った。
ともかく、私は、夫の話を聞いて、私は今後もそれらを読まなくていいと理解した。
カタカナだらけであるし、私は、カタカナは頭に入りにくい。
英語なら意味が見えるが、カタカナは便利だが、あれは、意味を持たない音だ。

単語は夫に聞けばいい、とわかった。
この人の文字に関する記憶力は素晴らしい。
出来事に関する記憶力は信じられないくらいひどい。

そうして、私は、カタカナビジネス自己啓発用語辞典を手に入れた。
意味を言えば、対応する概念や定義を持つカタカナが出てくる素晴らしい辞書だ。
意味-カタカナの順番なら、私にも覚えられる。
私は、カタカナ-意味は覚えにくい。

カタカナは時々混ぜておくと、賢そうに見える。


さて。

夫が言うには、世の中には二色の海があり、赤い海と青い海。
私は夫の話から、赤い海は、狭いパイを奪い合う戦いがある海で、青い海は、そもそも戦う相手が存在しない海、と理解した。

ふうん、と私は言った。


赤い海は、人と同じことができる能力と、戦闘能力が高いことが必要と私は理解した。
なら、そもそも、私には無理だ。
できなくはないが、無理だ。

青い海は、人と同じようにできない平和主義者の人が泳いでいる海、と私には思えた。

青い海をいいことのように本には書いてあるらしいのだが、私には、単にそれだけの話に思えた。

人と同じようにはできるけど、戦闘能力が低い人には赤い海はしんどいだろうし、また、人と同じようにはできないけど(それをよく言えばオリジナリティが強いという。独創性)、戦いたい人には、青い海は物足りないだろう。


夫にそう言うと、夫は、その発想がブルーオーシャンなのだと笑った。


時は流れ。

私は、今朝、もうひとつの「白い砂浜」を思い出した。
これは、カリブ海。
コスメル。

海の中もさらさらした白い砂浜が続いている七色の遠浅の海。
水槽の中でしか見たことがないカラフルな熱帯魚が自由に泳ぎ、海の中は光で満ちていた。
それは、それまで瀬戸内海しか見たことがなかった7歳の私が狂喜したサンゴ礁の遠浅の海だった。

私は、うれしくて、日本にいた叔母に、七色の海があるの!と手紙を書いた。


..........

七色の海。

そうだ、なぜ、海が二色しかない?

多様性を説くなら、独創性を説くなら、海は二色ではないはずだ。
ああ、それで、私は青い海を泳ぎたくなかったのだとわかった。


そうね〜。
たまには、海を泳いでもいい。
ピンクの海、黄色い海、緑の海、紫の海、虹色の海。黒い海。白い海。

海の底に白い砂浜があるなら。



夫にそういうと、夫は笑った。
「だから、それがブルーオーシャンだ」


わからない男である。