いろいろ

すごいな、スピルバーグ。

映画を見終わった後、今さら、わざわざ言わなくても、誰でも知っていそうなことが私の口から出た。


すごいな、スピルバーグ。
映画の中で、一言も、彼が何を伝えたいか、直接的には言わずに、でも、様々な人が様々なメッセージをこの映画からはきっと受けとる。
すごいな、スピルバーグ。

脚本を書いたのは彼ではないけれど、形にしたのは彼だ。


書き遅れたが、映画を見た。



そして、私は一緒に見ていた夫に言った。
私が映画から感じたメッセージは、戦争の愚かさだったからだ。

私は、世界平和を達成する方法がわかったと感じたのだ。
良心も善意も、みなの平和を祈る必要もない。

世界、の平和は、個人の力では達成できない。
世界を動かす力がある人にしか、それは引き寄せられない。
または、世界中がそれを望む必要がある。
それは、ほぼ不可能だと私には感じられる。

心で望むことは自由だ。
戦争を望むことも、また自由だ。

それを望んではいけないというのは、平和を望んではいけないと言うのと全く同じだ。
自分に都合が悪いことを、誰かに望むなというのもおかしな話だ。

ただ、世界、を動かせる人数は、少ない。


私は、長い間、引き寄せの実験をしてきたけれど、あれは、本当にそうだと感じる。
ただ、引き寄せられるのは、個人のレベルの話だ。

個人、のレベルの話なら、個人で引き寄せられる。
自分の人生の中の話なら。


自分の人生の中に、戦争が欲しい人は、きっと多くない。
自分の命、自分の暮らし、自分が大切な人の命、自分の人生、それらが破壊されることを望む人が多いとは私には思えない。

特に、平和な中で育った人たちには。


自分の人生に、戦争はいらない。
戦争は、人生に邪魔だ。
戦争は、嫌いだ。

平和が好きだ。


これなら、引き寄せられる。
何をもって、平和というかは、平和な国に育った人は体がその感覚を知っている。


祈るのは、手が届かないことについてだ。
願いは、手が届く可能性についてだ。

徹底的に自己中心的になれた人が増えた時、この世から戦争は消えるかもしれない。
誰かの願いに巻きこまれるのではなく、自分の願いを叶えようとする人が、世界の半数を超えた時に。

世界に属する自分ではなく、自分の周りの世界を認知する人が、半数を超えた時に。

そして、世界の方向性は、少なくとも、精神世界に関わる話は、科学の進歩と一緒に、そちらの方向を向いている気がする。


世界、その、世界は何か?の概念が、それぞれの中で変わる時に、世界中の平和を祈る必要はない、自分の人生の平和を願うことに罪悪感を覚えない人が増えること。
綺麗事ではなく、本音で。

心の中は誰にも見えない。
綺麗事は必要ない。
自己中心的であることが、世界を救うこともある。

自己中心的は場所によっては、優秀な働きをする。
それ自体は、ネガティブなことでも、ポジティブなことでもない。

自分を思考の中心に置けない人は、引き寄せは使えない。
自分を中心において、「何を願うか」、その内容だけの話だ。

戦争を願う人々は、間違いなく、自己中心的だ。
でなきゃ、できない。
平和を願う人々は、自己中心的でないことが多い。
世界、を中心に、平和を願う。

だから、いつでも、平和は負ける。


なんだ、シンプルな話だ、と思ったのだった。



そして、未来に希望はある、と信じられるような気がした。

希望はある、と楽観的でいること。
これは、引き寄せの基本だ。