自己受容、自己肯定とか。

最近、自己肯定感という言葉をちょくちょく耳にする。
自己受容と似たような感じだが、ニュアンスが少し違う。

自己受容は、自分を受け入れること。
受容なので受け身。

自己肯定は、自分を肯定的に認めること。
能動。


私個人に先に起きたのは、自己受容。
29才の頃。
その頃、離婚した。

私は思った。
しゃあない。
これが私の29年間の人生を集約した結果だ。
これが私の人生だ。

3秒くらいの話だったと思う。
全身の力が抜けて、泣きながら大笑いした。


受容。
最初の受容は、諦めに近い(笑)
「ええ、すみません、私が悪うございました」と私は思った。
適当に生きて、楽な方ばかり選び、もう大人なのに子育ては終わった親と戻れない過去を責め、おまけに要領のよさをいいことに、人生をさぼりました、と。

受容は、状態がよくても悪くてもできる。
いいことだけを受け入れるのを受容とは言わない。
もちろん、いい状態の方がしやすいに決まってるが、いい状態の人は、わざわざ受容が必要なことにはならない。
受容が必要になるのは、だいたい、状態が悪い時だ。

だから、受容は難しいわよね、という話になる。
ほんとは、受容が難しいのではなく、受容という作業を必要とする本人の状態に、受容が難しい理由はある。
それは外的環境、内的環境どちらも。

まるっと全部、それが受容。



それから思った。

やってきたことの結果がこれなのだから、今と未来は、今からやることでいくらでも変えられる。

そして、決めた。

私はもう、私自身をがっかりさせる行動は二度としない。

その頃、M先生はもう亡くなっていたが、私はM先生から教わったことを思い出した。

「自分を大好きになってごらん。
好きは全てを乗り越える。
自分を大好きになれるような言動をする自分になってごらん。
人生の中に、好きなものをたくさん作ってごらん。

そしたら、受容は、簡単極まりない。」


クリーンランゲージ、特にシンボリックモデリングは、好きなものに重きをおく。
その発想自体は、私は、新しいと感じなかった。
M先生が教えてくれていたからだ。

出会った時に、それは、好きなものを見つけるサポートを実践的に、しかも簡単にできる思考方法のテクニックだと感じた。
自己受容を促進するテクニック、しかもシンプル、すごい!と思った。


今。

私は私が好きだ。

私はもはや私を裏切らないし、そればかりか、私を幸せにしようと努力までする。
私は、誰かに自分の幸せを委ねないし、自分の機嫌もちゃんととる。
私は、自分を苦しめた過去を、すっかり変えた。
そして、私は、周囲の幸せも願い、そのために自分にできることをしようとする。

私は私が好きだ。
そんなことはありえないのだけど、もしも、この世の全てが敵に回っても、私には私がいる。
私は、私にとってベストパートナーだ。
自分さえいれば、私の人生はどうとでもできる。
私の人生なのだから。


私の人生は、これでいい、いや、これがいい。

もしも、だれかが、「人生のどこかに戻れるとしたらどこに戻りたい?」と聞いてきたら、私は、どこにも戻りたくない、時間の無駄だ、と答える。

どの経験や行動が違っても、今の私の思考はない。
とんでもないことも、傷ついたことも、傷つけられたことも、いいことも悪いことも、全部必要だった。


自己肯定できてるな、と一応確認したのだった。

自己肯定が必要になるのは、何か一歩前に進もうとする時。

他者からの評価が未知で予測が立たない時だ。
自己肯定ができてないと、怖くて動けなくなる。

自分を信じることが必要だ。

自己受容ができていれば、自分肯定は比較的簡単だ。
少なくとも、自分にとって、すごく悪い状態の時には、自己肯定はお題に上がらない。
悪い状態をいい状態だと思う必要はない。
悪い状態は悪い状態。

その場合は、自己受容。
これもまた私というような。


自分受容をすっとばして、自己肯定しようとすると、どこかでメッキが剥がれる。

また、自己受容までできても、自己肯定にいかないこともある。
そこで止まる人はむちゃくちゃ多い。
肯定するには、それなりの結果のデータが必要だから、行動していない時、自己肯定はしにくい。

また、自己受容は1秒でできるが、自己肯定は行動しないと得にくいから、少し時間がかかる。
クライアントさんで見てると、二、三年かかることが多いようだ。
意識は3カ月もあれば変わるけど、それが定着して現実が変わるには、やはり数年かかる。

その間は、試行錯誤が続くから、失敗することもある。
だから、途中でやめてしまうことがある。

それで、自己肯定まで辿りつかないで止まることがある。
理由はひとつで、行動するのをやめたからだ。

結局、動いたか動かないかだけの違いが現れる。
精神性や人間性の違いは、全く関係ない。
精神性や人間性の違いにしておきたい心理、ああ、自分はやはりだめだという心理がそこで登場したら、それは、自己受容がちゃんとできていないか、または、もう変わりたくないか、だ。

(変わりたくない、は、本人がその状態を気に入っているならば別に問題ではない。変わりたくない自分を尊重すればいいだけだ。また変わりたくなったら変わればいい)


人間性や精神性は全く関係ない。
事実、私の人間性は、20年前から一ミリの成長も遂げてはいない。
相変わらずだ。

友人とゲラゲラ笑うのだが、こんなにいろいろ実験してきて、いろいろ変わったけれど、私は、ちっともできた人になっていかない。

ちいちゃな人間だこと、といつも思う。

だから、私は人の助けを必要とする。
自分は自分ができることしかできないから。


で、多分。
お金が余ってる世界は、自己肯定感をかなり必要とする世界なのだろうきっと。

でなきゃ、いちいち確認しないわな、と。

必要なければ、別に、自己肯定もする必要はないのだから。
しなきゃいけない、できなきゃいけないことなんて、きっとひとつもない。
やりたいか、やりたくないかだけだ。


それにしても、いろいろ確認する作業が続いてる。
よほど、この実験を成功させたいのだろう。