書いて起きたこと。思考編。

おかしなこと。

おかしなこと、と思った。
昨日書いた「普通」は、長い間、私の弱みだった。


私は日本の幼稚園に行った。
幼稚園は楽しく通っていた。
朝、起きられず、毎朝、母に引きずられるように通っていたし、行くのがめんどくさくて、皆勤賞にはほど遠かったが、普通にお友達と仲良く過ごしていた。

ヨウコちゃんとカズキヨくんと特に仲が良かった。
カズキヨくんは、幼稚園が終わると、自転車でうちにやってきて、私とふたりで子供雑誌の付録を作ったりして遊んだ。
カズキヨくんは優しかった。

幼稚園では絵本を貸し出していたが、カラスのパンやさんという本が、大人気だった。

私は落ちつきなかったが、さらに上をいく落ちつきのない子がクラスにいた。
名前は忘れてしまったが、彼の将来の夢が五円玉かコロッケだったことは覚えている。

幼稚園の先生も大好きだった。
卒園式の日、もう会えないかもしれないと、先生は私を抱きしめて泣いた。


ここまで、似たり寄ったりの記憶を持つ人はたくさんいるだろう。

私は新興住宅地にある公立幼稚園に通っていた。
同じような建売の家か団地に住み、父親はサラリーマン、母親は専業主婦、兄弟は2人か3人。
飛び抜けて裕福でも貧乏でもない。
政府が、「家庭」のモデルに使う雛形みたいな場所に私はいた。

同じような集まり。

生まれた時からその中にいたからなんら違和感なく。
自分が人とは違うとも思ったことはなかった。



そして、やがて私は、家族と一緒に飛行機に乗って、バンクーバーで長いトランジットをして、小学校の入学式は、メキシコにいた。

そこからが昨日書いた日々。
1980年だ。


それは長らく秘められることになる記憶。

私の弱みだった。
人は、弱みを隠そうとする。

それは、みんなと一緒でいたいとき、明らかに自分はみんなと違うという根拠。
都合の悪い事実だ。



ところが。

書いて気がついたが、あの日々は、明らかに私のリソースである。

強み。

ベストコンディションに近い私の状態がそこにはあった。

知恵は足りない。
子供だったから。そりゃ仕方ない。


みんなと同じでいたいなら、あの日々は弱み。
でも、ユニークさを考えれば、あの日々は強み。
経験や体験は、強み。
それは知恵の源だ。
誰でも。
どんな経験でも。


多様性を自らの体験から知ることは、どう考えても強みだ。
また、お金について語る時、私が知るもうひとつのスタンダード、常識は、人の役に立つ。
自分の仕事を考えれば。

明らかに違う常識が、そこにはあった。
裕福な人々がそうでない人と明らかに大きく異なるのは、稼ぎ方ではない。
お金の使い方だ。
あとは、人への親切さが圧倒的に違う。
いじわるをしない。

あの日々を書かない限り、私はそれを書けなかった。
見た、ということ。


それを見た。この目で。
それが、どんなに豊かかということを体で体験した。

しかし、持つ望みによって、強みは弱みになったりする。

長い長い間、私の望みは、「みんなと一緒」「目立たない」だった。
ほとんど無理に近いことを、私は長らく願い続けた。

おかしなことに、昨日、書いたあの日々の中、私は一番になりたがっていた。
一番になることは危険なことではなかった。
目立ちたがりの塊のような子供だった。
みなを笑わせるのが大好きだった。
目立った方が、笑わせられる。


そもそも。
私が、人の思い出を妬むような人に配慮した理由はなんだろう?

ああ、恐怖だ、と思った。
身を守ることが願いになったのだろう。

だいぶと記憶に誤解があるということは、昨日、書いて気がついた。
私はいじめられたが「やり返した」のだ。
私をいじめた子の記憶の中では、私にいじめられたことになっているかもしれない。

そのあと、いつでも、私は「変わった子」と言われたが、変わった子という理由で友達がいなかったことはない。
私は、変わった面白い子、だったから。

私が生きてきたのは、面白ければなんでもいいという価値観が根底に流れる地域だ。


恐怖というのは恐ろしい。
事実をねじまげて認識させる。
人を小さく縮こまらせる。。。



そして今、歯医者さん通いで克服しつつある恐怖。
それくらいしか私には怖いものがないのだから。。。
残念なことに。


ということは、、、。

昨日書いた、ということは、私はある程度、恐怖を乗り越えたのだ。
だから、白い砂浜が現れたのだ。



いつも思うけれど、人生の鍵を握る行動は、本当に小さい。

私が気づいている限りでは、なかなか変わらない人にある特徴は、大きい行動をして人生を変えようとすることだ。

歯医者通いが、人生を進めることもある。


家の中のごみひとつ捨てることが、その人を解き放つこともある。


私のもうひとつの「普通」を受け入れることが、私の人生を変えることも、、、あるかもしれない。
と、受け入れた後に気づくのは、毎度のパターン。


そして、私の中から、「みんなと一緒でいたい」という願いが消えたことを、私は知ったのだった。


みんな違って、みんないい。人間だもの。
相田みつを。


自分の多様さを受け入れられなくて、人の多様さは受け入れられない。

またひとつ判明。
「白い砂浜」の要素の1つは、多様性、だ。