成長4*プラスアルファ

書いていて、私は、自分を成長させたくて苦しむ人に対する対応を見つけたいのだと気がついた。


自分を成長させたい人は、向上心が強いという要素を持つようだった。
もっともっと、よりよく。

自分を成長させたい理由は様々なようだったし、それらの人々が成長させたいパートも様々だったが、そこに使われている要素は、向上心だろうと私は考えた。

向上心があることはいいことだと一般的にされているし、実際に、いい働きをすることが多い。
だからこそ、成長、という単語は多くの人を魅了する。

だけれども。
長く観察する間に、それが、自分を成長させたいという思いが、自分自身の精神だけに向かう時、他者へ提供することや現実的な何かを成長させることに向かわない時、少しばかり、不具合が起きることがあるようだと、私は感じた。

自分を成長させたい人が、自分の成長だけを突き詰め続けた後、どんどんしんどくなる様子を何度も見たからだ。


過度な強み、過度な長所は、バランスが取れない時、ネガティブな働きをすることが多々あるが、それかな、と思った。


例えば、好奇心が強い人は、それを抑えるものを同時に持たない時、または、何に好奇心を使うかがはっきりしていない時、必要のない失敗をしたり、怪我したりする。
好奇心からすることで、他人を傷つけたりもする。
好奇心だけが強くても、どうしようもない。

強みは、弱みと同じように、ネガティブな働きができる。
いかように使うかで。 
何と組み合わせて使うかで。


向上心が強い人がはまりこむネガティブな状況のひとつだけは、私は気づいていた。
全ての人ということではなく。
そういう人が目につくな、という感じだった。

自分自身にそれが向かう時、続ければ続けるほど苦しくなるという状況だ。

人間は、能力差があるし、そこまでの過去も違う。
絶対評価で、自己成長度を判断しない時、スーパースペシャルな人以外は、自分の成長が足りないと感じるのはごく自然なことだ。


きっと、向上心とプラスアルファ、バランスをとるための何か別のリソースが必要なのだろうと感じた。

自己肯定、自己受容、諦め、それ以外の方法で。
それらは、向上心が強い時は、うまく働かないことが多いようだったからだ。


自分を受け入れてしまうと、成長する必要はなくなる。
向上心は、よりよくだ。
何か改善点や未成長、発展途上なものがそこには必要だ。

それらの人は、自分自身について取り組んでいるわけだから、自分自身を肯定したり、受容したりすることは、向上心を使わないということと同じになる。
強いリソースを使うなというのは難しい。

諦めることも、きっと、他の人よりずっと辛いことなのだろう。


そして、プラスアルファ、何か、その人が持つ別のリソース、だけど多分、本人は価値をおいてないものを強化するとバランスが取れるのかもしれないなと感じた。

価値に気づいているならば、向上心が強い人は、必ず、そこには手をかけているはずだからだ。
自分をよりよくするもの。

それは一見、成長とは何の関係もなさそうな要素だろう、と。