成長*3

自分を成長させたい人。

それは、私が初めて出会う人種だった。
自分の周囲にはいなかったのだ。

悩みを抱えていたり、仕事に四苦八苦していたり、恋愛や家族関係に悩んでいたり、そういう人はいくらでもいたのだが、みな、現実をどうにかしようとしていた。

私が出会い始めた人達は、自分の心の中や自分の人間性について焦点を当てていた。
そこを成長させることに一生懸命だった。
それは、とても新鮮に見えた。

だが、しばらくして、私は疑問を抱えた。

いったい「成長」とは、何を意味しているのだろう?

優れた人になること?
いや、違うようだ。

できた人になること?
いや、違うようだ。

こういうこと?
ああいうこと?

トレーナーやコーチのようになること?
ん、、、みんな普通の人に見えるけど。

どういうこと?


謎は深まるばかりだった。

みながテーマとして出してくるのは、悩みや問題だ。
そういう講座やワークショップに出ているのだから、例は当然そうなる。
そうでなければ練習できない。

クリーンランゲージだけは、最初から起きて欲しいことや生まれて欲しいことを尋ねるので、テーマは限定されておらず、最初から夢や希望が登場することがあるけれど。
それでも、最初は、やはり悩みや問題が登場することが多い。


それで、悩みや問題を解決すること、そのために考え方が変わることを成長と言うのかな?と、あたりをつけてみた。

言葉が違うだけなのかしら?


しかし、それもまた違うようだった。

悩みや問題が解決しても、なお、自分の成長が足りないと言う人がたくさんいたからだ。
そして、それらの人たちは、もっともっと、だったのだ。


成長、は、いったい何のことなのだろう?
そして、ゴールはどこなのだろう?


その頃、私は、自分を成長させたいという人が、成長する義務を同時に抱えているらしいことに気がついた。
それは明らかに義務として課せられたものではなく、本人が自分に課した義務だ。

この義務感はどこから生まれてきてるんだろう?
源は?


私は、また謎を深め、謎はさらなる好奇心を生んだ。


先に書くが、この話は未解決だ。
私には、結局わからなかった。

何が成長で、何がそうでないのか。
あまりにも、みんなバラバラだったからだ。