信念*くまのぬいぐるみ

白い砂浜の要素が少しずつ開示される。

そこは、恐怖のない世界だなと思った。
コスメルの砂浜や海で遊んだ春の日、カリフォルニアの浜辺を歩いた冬の日、そこに恐怖は入り込む余地がなかった。

白い砂浜は、恐怖がない時の私の状態を教えた。


恐怖がないならば、白い砂浜は、私の強さと結びついているようだ。



強さ?
あ〜!

歯医者!


またひとつ判明。

「白い砂浜」が生まれる直前に起きたのは、歯医者。

歯医者で、強い気持ち、の状態が生まれたこと。


歯医者。

歯医者は、なんだかよくわからないが、さまざまな鍵を握っているようだ。

歯医者で、私は、強い状態を獲得した。
そして、自分の強さがどういうものか理解した。
今までそこに誤解があったことも。


メタファーの世界は、いつでも現実と絡んで進む。
過去と未来と今を、パラレルに結んで。
たくさんの階層が関わって。


現実の体験と内的世界は絡みあう。
メタファーが便利なのは、現実と内的世界をひとつのものがたりにまとめやすいこともひとつある。



そこまでいって、また、あ〜!となった。

強い気持ちのひとつ手前が何かわかったからだ。

そして、白い砂浜になにが加われば、自由の女神の像ができるかがわかったからだ。


自分で言った。
イギリスで。


それはまだ、メタファーにはなってない。

あ。
今、なった。

白い砂浜に、「コルベ神父」が加わわると、自由の女神になる。

「コルベ神父」は、「信念」のメタファーだ。
「その」コルベ神父は、優しさと強さと、という本の中にいる。
彼は実在した人だが、この場合、彼が私にとってどういう人かということに意味がある。

このコルベ神父は、11歳から一年に一回、私と対話をしてきた。

本によれば彼は、アウシュビッツで、他の囚人の身代わりになって餓死の処刑を他の人達と一緒に受けた。
狭い空気穴しかない部屋の中は、いつも、地獄のような様相を見せるが、彼のいたグループだけは、非常に穏やかな死をみなが迎えた。
彼は最後まで生きて、そして、部屋の使用スケジュールに差し支えが出たので、最後は注射で毒殺された。
その時、彼は、自ら注射を打ちやすいように腕を差し伸べて静かに息を引き取った。

そういう話。
実話だ。


それはそもそも、私が女子をいじめる男子と喧嘩ばかりしていた頃に、これを読みなさいと担任の先生から渡された本だ。
私は、感動したわけではなく、意味がわからないので、毎年、読むことにしたのだ。
本は、今もまだ持っている。


彼は謎の人物だった。
どうしてこの人はこんなことをしたのか?なぜ、この人にはそれができたのか?、それが謎だった。

成長とともに、毎年、謎の部分は変わっていった。


彼を支えたものは何か?

それは信仰なのだけれども、信仰がある人は、彼がそれをした時の周囲にもたくさんいたはずだ。
他の信仰ある人がみな同じ行動をしていないのだから、彼の強さは信仰には由来しないと私は考えた。

行いは、信仰の力ではない。
行いは、彼自身の強さだ、と。

命を救ったのも、穏やかな死を与えたのも、信仰の力ではない。
彼を支えたのは信仰だろうが、彼にそれができたのは彼自身の力だ。


やがて、私はM先生と出会った。
ロザリオを持ったカトリックのクリスチャンのおじいちゃん。
精神科医で臨床心理士。

彼は、私に、コルベ神父をなんとなく感じさせた。

M先生もまた、信念の人だった。
彼を支えていたのが信仰だったことは知っている。

でも、彼の信念は、彼の信念で、信仰とは別だった。


そして。

今、私の強さと信念は、歯医者で生まれようとしている。


軽いわ〜。

軽い。

軽すぎる。


どうなの?
このシリアスじゃない感じ?

今、頭の中で、「そのコルベ神父」は、クマのぬいぐるみみたいな姿をしている。
ふわふわで、暖かくて、柔らかくて、いい匂いがしてオキシトシンが足りない人に貸せる。
ほら、怖くないでしょう?


私の信念。

コルベ神父という名前のくまのぬいぐるみ。
小さなダイアモンドの十字架のペンダントを首に飾りでぶら下げている。
ダイアモンドは5粒。赤いリボンのペンダント。
チョーカーかな。。。


そして私は、コルベ神父とM先生と、長く続けた対話が、今、終わったことを知った。
対話は、コルベ神父という名前のくまのぬいぐるみになった。

そして、ああ、彼らが、これまで自分のメンターだったのかと今気がついた。
なんでも最後に気がつくことだ。


2人との対話で生み出したもの。

くまのぬいぐるみ。

それが、私の信念。