お金のはなし2

どこからいこう。

私が、今、興味を持ってる世界は、お金が余る世界。
私は余ってるお金が欲しいのだ。山のように。
滝のように。
湧き出す泉のように。

自分が食べていく分くらいは、夫が持って帰ってこなくても、普通に働けばなんとでもなる。
普通に仕事すればいい。
自分の分は、もう足りてるのだ。

しかし、余ってるお金を生み出すために、自分のモチベーションを上げるため、私は、家が狭い!と文句を言うことに決めた。
家が狭い!広いリビングと仕事場がいる!

贅沢じゃない。狭いのだ。
3LDKでも、狭いのだ。
私が狭い!と言えば狭いのだ。

そして、カバンが必要。

私の欲の力は家やインテリア、場所、カバンにはよく働く。
いいもの食べたいはさっぱりだめ。
すごく好きなものに対する欲しか効果はない。

足りてません!狭いです!
とりあえず欲を投入。


さて。

よく、自分はもう十分だ、お金はもういいとお金について言う人がいるけれど、それを聞くと、私は、なんてドケチな!といつも思う。

お金の使い方がわからないから、お金はあんまり興味ないという人も同じだ。
増やすことに興味がない人も同じだ。

ケチなの?と思う。
謙虚な人とは思わない。

どうして、自分のことしか考えないの?
あげればいいじゃん、余ったら。
たくさん余ったら、たくさん寄付できるのよ、自分はいらないんだからあげればいいじゃん。
手に入れた後で。


ケチというか、知らないのだ。

庶民の家の子供は、私もだけれど、大人になるまでに見たお金の使い方のバリエーションが少ないことが多い。

だから、お金の使い方のイメージが貧困なことが多い。

自分や家族を満たすところで発想が止まる。
欲を満たすところで。

加えて、家が貧乏だった人は、ハングリーさがあるので、欲を満たすことはパワーとして働くかもしれないけれど、いわゆる昭和にゴロゴロしていた裕福でもなければ貧乏でもない子供たちは、欲の力は割と弱い。

自分や家族のことだけに使うことしかお金の使い方を知らない場合、お金が欲しい力は弱まる。
必要でないからだ。

しかし、お金には、非常にたくさんの使い方のバリエーションがある。
欲を満たす以外にも。



大人になった時点で知っているお金を得る方法のバリエーションも少ない。

配当金だけで生活する一家とか、庶民の中にはいなかった。
最近は投資をする人も増えてるから、登場してきているかもしれない。
ともかく、働かないでお金が入ってくるのを、子供の頃に、見たことがない人が多い。
うちの近所にもいなかった。

配当だけではなく、お金を得る方法はたくさんあるけれど、もっぱら、働く人がお金は持って帰ってくるものだった。

働く=お金、だ。

お金は余ってるけど、社会貢献のために働く人なんて見たことなかった。
お金が必要ないのに働く大人。
実際はたくさんいる。
ボランティアではない。

お金はあればあるほどいいので、そういう人はボランティアにはしてない。
得たお金を、どこかへ回している。
いったん手に入れて、自分が流したい場所にお金を流す。

そんな人、近所にはいなかった。



ともかく。

私のお金に対する知識は貧困なのだ、と、私はある人の話を聞いていて思った。
そして、めっちゃケチやん!私!と。


私の知っていた常識では、それはケチじゃなかったのだけど、もうひとつの常識では、私はドケチだったのだ。

今から10年前の話だ。