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願う時。
その願いを叶えるのに、誰かの承認や許可が必要な場合がある。
また、その願いが叶うためには、誰かに与えられるか譲り受けるかする必要がある場合がある。
どちらも、自分以外の誰か人間が、願いが叶う必須条件だと思われる時。
本当にそうなことも、本人が思いこんでいるだけのこともある。
願いが叶わない人は、思いこんでいることが多いような気がする。
他者に対する愚痴が非常に多いことから、そう推測している。
しかし、実際に、自分以外の誰かの承認や許可、または誰かからの譲渡が必要な場合はある。
私の観察からの統計によれば、願いが叶わない人の特徴は、ここで、自分が大人だということを忘れて、子供が取る対応をすることだ。
子供は、ほとんどの願いは、親か誰か大人の承認がなければ叶わない。
子供は、ご飯やお風呂といった日常のことすら、好きな時間や好きなようにはさせてもらえない。
自分がやりたいことはもっとそうだ。
外で遊びたいのにも、いちいち許可をとらなければならない。
一日のスケジュールを好きに立てることも許されてはいない。
自分がやりたいようにしている子供などいない。
子供は、直接相手に訴える、甘える、ご褒美として与えられるよう「がんばる」、それから、認められるように「努力」する。
これがうまく働くのは、相手が親だからだ。
そして、その人が子供だからだ。
願いが叶わない人の多くがよく口にするのは、自分の努力やがんばりが、願いの実現に結びつかないことへの不満。
ただ、そのがんばりは、親なら認めたかもしれないがんばりであることが多い。
親はがんばれば、だいたいなんでも褒める。
それが結果には結びつかないとわかっていても、褒める。
願いが叶わない人は、怠け者ではない。
逆に、非常に勉強家だったりする場合も、多々ある。
真面目で従順、謙虚なことも多い。
そして、だからこそかもしれないが、これは顕著な特徴だが、それらの人は、自分が成長することで願いを叶えようとする、学ぶことを願いを叶える手段として選ぶ傾向が強い気がする。
がんばる、成長する、学ぶ。
真面目に。
親は大喜びだ。
相手が親なら。
叶わないときは、自分の成長が足りないとか、勉強が足りないとか、自分に何かが足りないと考える傾向も強い気がする。
大人が願いを叶える時、もしそこに誰か自分以外の人間からの許可、承認、譲渡、そういうことが必要だと思われる時は、思い出さないといけないのは。
相手は親ではないこと。
自分も子供ではないこと。
あなたを気にかける義務も、成長を評価し褒める義務も相手にはない。
がんばれば願いは叶うというものでもない。
そして、成長が足りなかろうが、何かが足りなかろうが願いは叶う。
周りをまた見渡してみてほしい。
願いを叶えて、楽しそうに生きている人たちは、素晴らしく完成された人たちだろうか?
精神性がすぐれた人々だろうか?
真面目な人ばかりだろうか?
何も足りないものはない人だろうか?
なぜ、あの人が選ばれるのだ、というような人が、許可や承認、譲渡をするっと簡単に手に入れるのを見たことはないだろうか?
じゃあどうする?
自分で考えればいい。
相手は毎回違う。
相手と自分の関係性も毎回違う。
自分が持っているものも他人とは違う。
願いは、毎回違う。
願いを叶えるために必要な承認を得るのに、決まった方法などない。
その前に、本当に、その願いを叶えるためには、誰かの承認が必要なのか、考える必要はもちろんあるけれど。
そして、本当に必要なのは、承認や許可ではなく、協力してもらうことな場合も多々あるけれど。