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願いが叶いやすい人と願いが叶いにくい人の違いは、その創造性の使い方と表現内容。
それから、記憶力の使い方だ。


例えば、喉が渇いた時。
願いが叶いにくい人は言う。
「喉が渇いた」

不満を創造し、表現する。
で?
だから?

よくあるのは、ここで、「喉が渇いた」を訴え続けること。
今すぐそれが無理な状況の時は、不満を大きく育てる。

創造性を不満に注ぐ。
そして、不満を覚えておく。



願いが叶いやすい人は、喉が渇いた後、すぐに願いを叶える方法、不満を解消する方法を創造する。
「何か飲みたい」

一番叶いやすい人は、喉が渇いたと体の欲求を感じた時、喉が渇いたことすら思い浮かばない。
それを認知する時、すでに言葉は、「何か飲みたい」

不満を解消するための方法を自らで産む。
そして、何か飲みたいという願いを叶える方法を考え動き始める。
または、今すぐにそれが無理な状況だとしたら、タイミングが来るまで待つ。
何か飲みたいという願いを覚えておく。

創造性を願いや願いを叶える方法に注ぐ。


一番、幸せに願いが叶いやすい人は、さらにはっきりしている。
「水が飲みたい」
「コーヒーが飲みたい」

より、自分の満足度が上がる願いをそこに生み出す。
願いのディテールが細かい。
願いは、感じるものではない。
願いは、生み出すものだ。


一番、願いが叶いにくい人は、そのどちらも生まない。
我慢する。
「考えても仕方ないから」
「言っても仕方ないから」

今すぐ、それが無理な時は特に。
そのため、周囲は、その人が抱く不満も願いも知らないので、協力しようはない。
その人自身は、「なんとなく」満たされない。

「何か飲もうか?」と誰かが運良く聞いてくれるまで。
エスパーが周囲にたくさんいて、その人のことをみなが注目している状態ならば、これで大丈夫なのかもしれないが、ほとんどの場合、この期待は裏切られる。

それで、このパターンの人は、他人が勝手だと怒っていることが多い。
みんながわがままなのではなく、その人が願いを創造しないので、不満すら創造しないので、みんなは知りようがないし、協力しようがないのだ。

願いは、口にしなくても表すことは可能だが、願いも不満も生んでいなければ、行動にも表情にもそれは現せない。

「なんとなく」は、ほとんどの場合、言葉にできる。
それを言葉にすることもまた、創造性のひとつだ。
言葉を生む、という創造性。


喉が乾くように、願いの多くは不満から生まれる。
多くの場合、不満は、願いの源だ。

何かを感じる、何かが起きる、何かを知る。
そして、満たされない何かが生まれる。

そこまでは、同じだ。

願いが叶いやすい人と願いが叶いにくい人は、その後が違うだけだ。


喉が渇いた、と言い続けるより、水が飲みたいの方が願いの実現は早い。

水を飲めば、次は、満たされた状態で、他の願いを生むことができる。


喉が渇いた。

で?
だから?

あなたは何が起きればいいのだろう?


なんとなく不愉快だ。

で?

その不愉快は、どこから生まれてきたのだろう?
どこからやってきたのだろう?

そのなんとなくは、どういうなんとなくなのだろう?