白い砂浜




白い砂浜。

思い出そうとしたら、すぐ思い出せた。


私は、人生の中で、何度も白い砂浜を見たことがあるけれど、「その(この)that」白い砂浜は、写真の白い砂浜だ。

歩いていたのは、カモメ。
歩くし、自由に空も飛ぶ。
海を泳ぎはしないが、海に浮かぶこともできるし、お腹が減れば、海に魚もとりにいく。


私は、この白い砂浜を、その時、新しくできた友達とおしゃべりしながら歩いた。


この白い砂浜は、カリフォルニア。


そして、白い砂浜の特徴を、私は、そこで作り始めて、「宿題」として日本に持ち帰った。

その宿題を完成させるためには、「山」を破壊する必要があった。

私は、今度は、ポートランドに行った。
そこで言った。
「自分の中に、クリーンランゲージはこういうものだというフレームが出来上がりそうになっていた気がする。これが必要ない」

トレーナーは言った。
「クリーンランゲージは、とてもファジー(曖昧)な技法です。何をクリーンランゲージと呼ぶか、それが曖昧」

そのあと、ベイビーTが現れた。

そして、その後、イギリスへ行った。
そのあと、シンボリックモデリングについてのやりとりをイギリスとしていた中で、届いたメールには、こう書いてあった。
自分にとっては、クリーンランゲージはこうだ」

彼ほどの人でも、自分にとっては、としか言わない。

自分にとっては。
for me.
In my opinion.


そして、クリーンランゲージという言葉が持つ階層を解説してくれた。
最初に理解することは、とても重要だと。
君が日本語で経験していることは、非常にユニークな経験です、とそこには書いてあった。

記憶はいつでも、ヒントをくれる。

私は何をしに旅をしたのか?


そして、ベイビーTは再び現れ、山はもうないと告げた。


そして次に、白い砂浜が現れた。


宿題の答え。
それが、白い砂浜だ。

宿題から始まったこと。
宿題の答え、それが、白い砂浜。

3年かかって、白い砂浜は生まれた。


私にとっては。
私にとっては、白い砂浜。

これを、概念にしなければいけない。
そうしなければ、分かちあえない。

ひとつだけはっきりしていることは、白い砂浜は、間違いなくリソースだ。
潮風にあたり、解放感に満ち溢れ、友情があり、会話があり、静寂があり、リラックスしていて、笑顔があり、人々は自由に時間を楽しんでいた。


そして、私は、また旅に出たくなった。
次はどこへ行こうか。