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これは、叶いにくい人というより、叶いにくい願い方。
願いの理由に「みんな」が含まれる時、願いは叶いにくい。

みんなそうだから。
みんなが持っているから。
みんながしていることだから。
みんなのために。
世の中のために。


願いは内側から生まれるものが強い。

「みんな」は自分の外にある。
外を眺めていて、みんながしているから、みんなが持っているからという願いは、内側から発生していない。

また、「みんな」はそもそも嘘がある。
みんなが同じで自分ひとりだけが違うような気分になることはあるかもしれないが、事実とは違う。
そして、この場合、残念ながら、事実と違うことが、自分の目で確認できてしまう。
だから、自分が騙されてくれない。

これには、「普通はそうだから」とか「一般的にはそうだから」も含まれる。


願う時点でその人自身が欲しい、したい、やりたい、または、必要だ、と思うことが叶いやすい。

例え、みんながそうだからと言って、本当にその人自身がそれを望んでいるかは不透明だ。


願いには、普通、みんな、一般的、は存在しない。
どの願いも、例え文章や言葉にした時、同じ願いだとしても、ひとつひとつの願いは、非常に個人的でユニークだ。


例え、本当にみんなが言葉で同じことを望んだとしても、その中身は個人個人バラバラだ。


私が、自分が、望むこと、自分なりの理由で、という形態の願いの方が叶いやすい。
例えそれが、みんなのため、世の中のためになることでも、その動機は、個人的であることが必要だ。