お金のはなし

さて、話題を変えよう。

お金の話。

私は、一年のほとんどの時間はフラフラしている。
数年前からそうなり始めた。
結婚前からだ。

何がどうだか、短い期間に、自分が一年で必要とするお金は手に入るようになったのだ。
まとめて入ることが多い。
だから、他の時間は、仕事をぼちぼちしながらフラフラしている。

収入は仕事のこともあるし、よくわからない理由で回ってくるお金もあるし、人が投資すると言ってくれることもある。

現在は、生活費は夫が出しているが、勉強代やら旅行代やら、まあ、何かとお金はいる。


そうなったのは、私が、人のために働く、だから考える時間が欲しい、と本気で思い始めた後だった。

持っているお金がなくなりそうになると、お金や仕事、またはお金につながる話がどこかからやってくるようになった。

最初は、大丈夫なのか?!とヒヤヒヤしたが、やがて、そういうもんだと思うようになった。

ただ、お金が欲しい!お金がいります!とか、仕事が欲しい!とか、家で一回だけ叫べばいいようだと。


そうなり始めた頃、ある人が、私にお金について、いろいろ教えてくれた。
一代で会社を立ち上げて、資本金を億単位まで持っていった人の奥さんだった。

私は、たまたまその人のことを子供時代から知っていた。

そして、その人が教えてくれたことは、小さな頃に見た世界と通じていた。

話を聞いていて、ああ、これ、常識を変えるところからしないと、あるラインを超えたい時、庶民の家庭で育った人はかなり苦戦すると感じた。

ダブルスタンダードだ。

その人に言われたことを一つだけしたら、お金は入りやすくなった。
びっくりした。



最近、ちょいちょい、お金の話をする機会が登場し始めた。

私自身は、なんだかよくわからないやり方で、ずっとお金を得てきているが、お金についても、個性と常識が関係しているような気がする。

私自身は、お金がよくわからなったので、常識はあまりないが、それでも、その人の話は新鮮だった。


現在、私の中で、お金の位置付けは、共に働くものだ。
自分と一緒に働く自由に動き回る仲間。
仲間は多ければ多いほどいい。

また、私がやろうとしていることは、この仲間がいなければ可能にならない。

というわけで、私は、人生の後半、この仲間を増やし、仲間が自由に動き回ることも、やることの一つに加えている。


上手にできるようになった時。
オックスフォードが現実になる。


私が本当に、お金について、こうですよと言えるのは、オックスフォードができた後だが、現時点で知っていることがあるので、次はそれを少し書いてみる。

お金の本には登場しない、それ以前の話だ。
ダブルスタンダード。