10-1*

10で例に使用した結婚の話、補足。

先に書くと、私自身は二回結婚しているが、結婚するかどうか自体はどうでもいいと思っていて、私は結婚推進派ではない。
私個人は、一人より二人の方が人生は楽だと感じているが、人それぞれではないかと思っている。

ただ、結婚したいという願いは非常によく耳にする。
そして、私は、仕事で、例文に使用した「自分を成長させてくれる男性と結婚して、趣味を楽しんで、豊かな生活を送りたい」と似たような文章を、何度もなんども何度も、耳にしてきた。
聞き飽きるくらい。

結婚は、多い願いの一つだ。
昔なら、積極的にしなくても、お節介な誰かがチャチャッと世話してくれたのかもしれないが、現在は、自分でなんとかしなければいけない人が増えている。

結婚についての願い。

例えば、両親のような結婚をして、両親のような関係を築きたい。
例えば、結婚して仕事を辞めて、自分の好きなことをして暮らしたい。
例えば、結婚して子供を作りたい。
例えば、結婚して安心したい。

最初の一つを除いては(最初の一つもある意味そうだが)、結婚後に関わること、または、直接結婚とは関係しない願いがそこには登場する。
結婚しなければそれができないという条件付けをしてしまっているだけのこともある。

結婚に関しては、他の願いと少し異なる部分がある。
結婚するまでは、(結婚相手と出会うまでは)、自分一人の話なのだが、結婚後は、そこに関係するのは2人の願いだ。
それも、自分にとって大事な存在(になると思われる)相手の願いだ。
結婚後は環境が変わる可能性があり、それに伴い、自分の抱く願いは変容する可能性もある。
相手によって変わる可能性だ。

少女や少年が夢を描くのでもなく、20代で相手選びをゆっくりしている時間があるのでもなく、もしも、現実的な話として、結婚をしたいのであれば、ひとまずは、「結婚する」に願いを絞った方が、これは経験的に早い。
相手一人に願いを絞る。

考えるのは、相手についてだけ。
これは誰でもいいというにはいかないだろう。


それ以外は、ひとつ現実を進めて、それから、願った方が早い。

結婚したい。
まずは結婚する。それから願う。
2人で両親のような関係を築きたい。

結婚してから願うので十分間に合う。
両親は、2人で努力したのだから。
2人になってから話し合えば十分間に合う。


または、結婚すると他の願いを分離させる。

結婚したい。
仕事を辞めたい。
自分の好きなことをして暮らしたい。


結婚したい。
子供が欲しい。


結婚したい。
安心したい。


その願いは、結婚と関係あるのかどうかも分けて考えた方が早い。
関係に関しては、必ず相手が必要だが、自分一人で可能なことを、結婚と結びつけたとき、結婚は必要性が下がる。
結婚そのものの必要性と関わらない願いは、切り離した方が早い。

また、叶いやすいのは、必要性の高い願いだ。
例に挙げた中では、仕事を辞めること、好きなことをして暮らすこと、安心すること、は結婚しなくても可能だ。
子供も状況によっては可能だろう。

もしも、その人の願いが、その時点では、仕事を辞めることや好きなことをして暮らすことが大きかった場合、結婚するは後回しになる。
なぜなら、この場合、結婚することは、それらの願いを叶える手段の一つに過ぎないからだ。
手段はいくらでもある。

でも、結婚したいと人がいうとき、ほとんどの場合、その人は結婚もしたいのだ。
本当に。

ところが、結婚とそれらを結びつけてしまったとき、それらが叶うと結婚できなくなるのではないか、と人は無意識にそれらの願いを叶えることを遅らせることがある。
もともと、それらは、結婚とは直接関係がない。
個人の話だ。

だけれども、頭の中で、それらが結びついているとき、人は自分の願いが叶わないような行動を無意識に控える。


仕事で話を進めていくと、クライアントは皆、結局自分自身でそのような結論にたどり着くので、今書いている話を、私が仕事ですることはない。
結婚したいと言って訪れる人が真逆の結論にたどり着くことも、他の話題で訪れた人が、結婚の話に落ち着くこともいくらでもある。


書いたことは、一人で生きてきた時間が長い人ほど、結婚について願うときのパターンとして見られる。
そして、結婚については、その他の願いはスルスル叶えてきた人も、願いが叶いにくい人も、同じような思考回路にはまることがあるようだ。


結婚については、その他の願いと扱いが異なると私は考えている。
もともと、願う願わないということよりは、結婚という社会が作った相互扶助システムを使うことがその人にとって必要か必要ではないかという、生き方のベースの話に関わるからではないかと思っている。


結婚すれば必ず幸せになったり喜びを感じるかというと、それは100%イコールではないということは、誰もがよく知っている。
他の願いは、(ヘルシーに願った場合だが)それが叶うと幸せや喜びを感じることが可能性としては高い。
結婚は、場合によっては、不満の連続となる可能性もある。

それは避けたい。だから、たくさん願う。
そして、それがハードルを上げる。
結婚に関していえば、してみなければわからないことが多々ある。
ある種、博打だ。


他の願いにはある、叶った時の達成感も結婚にはない。
毎日の生活に達成感をいちいち感じること、例えば、ああ!今日も、両親のような関係を築いたわ!と思うことは普通の人はまあないだろう。
いちいちそんなことを確認している暇はあまりない。

結婚式には達成感はあるかもしれない。
あれはイベントだ。
結婚したい人が時折、結婚式について語るけれど、そういう意味では結婚式をあげたい、という願いは、普通の願いではあるけれど、まだ相手がおらず結婚の話が具体化していない時に幸せな結婚を望む場合は、ややリスキーな願いの気がしている。


もしも、結婚したいなら、結婚したい、だけを願いとして浮上させることを私はおすすめする。
そして、どういう人と結婚したいかだけを考えることを勧める。
自分が結婚した後に手に入れたいものは、あまり考えない方が、見てきた限りはうまくいく確率が高いような気がする。

あとは、あんまり考えずに、ともかく出会いを探すことだと思われる。

出会う前にどんなに考えても、ほとんど意味はないからだ。
相手が絡む願いは、相手と出会わなければ始まらない。

また、自分を向上させようと努力するのも、ほとんどの場合、時間の無駄だ。
どうしようもない人も普通に結婚している。


というわけで、結婚については。
もしも望むなら。

私は結婚したい。
私は結婚相手と出会いたい。

まずは、こちらの願いをお勧めする。