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「Yちゃん、喉、渇いてない?休憩したくない?」

ある日、12才の少女と遊びに出かけ、歩いていた時、少女が私に聞いてきた。

なんで?と私は聞いた。

少女はにこりと笑った。

私は言った。
「あなたが、喉が渇いて休憩したいんじゃないの?」

少女は、うん、と言った。

私は「それなら、自分が喉が渇いた、どこかで休憩したい、と言いなさい」

少女はてへと笑った。
彼女の言い方はこういうことが多い。

私は言った。
「自分が欲しいもの、自分がしたいことは、自分が欲しい、自分がしたいと言いなさい」


不満が多い人は、この少女のような話し方をすることが割とあるというのが、私の観察結果だ。

相手を思いやりましょう、を自分は実践しようとしているタイプに多い気がする。
往々にして、「いい人」は不満を抱えていることが多い。

そして、後から不満を感じる。
「あの時、喉が渇いてたのに。あの時、休憩したかったのに」


人間はイルカではないと理解した方が早い。

他人に自分の願いを慮ってもらおう、他人に推測してもらおうと思うのはやめた方がいい。

そして、人間はタイムマシンを持たないことも理解した方がいい。

過去に叶わなかった願いを、過去に戻って叶える方法はない。



また、この言い方は、はっきり自分の願いを口にせずに、相手の願いを推測して相手をコントロールしようとするやり方だ。
一見、いい人に見えるが、そうではない。
日本語の持つ、相手を思いやるが、悪いほうに働いたバージョンだ。
自分には望みがなく、本当に相手を気にかけている時と、自分に望みがある時、同じ言葉はまるで違う働きをする。

支配は、日常にあふれている。
支配的なやり方も、願いを叶える手法の1つではあるが、このやり方が有効に働くのは、自分の立場が強い時、という条件が必要だ。

だが、実際は、立場が弱いと思っている人がこの言い方を使うことが多い気がする。
この少女の場合、財布を私が持っていて、彼女の欲求を満たすためには、私の協力が必要だった。

私を、少女の願いに巻き込む必要がある。

現実を伴う願いはほとんどの場合、誰かを巻き込んで叶うものだが、巻き込み方は数多くバリエーションがある。
そして、この無自覚な支配のやり方は、ほとんどの場合、うまくいかない。

無力感を味わうことになる。


「私は、喉が渇いた。私は、休憩したい」

はっきりそういう方が、協力を得られる確率が高い。

「私、喉が渇いた。休憩しない?」

これは、あともう一歩。
後にしよう、と言われる可能性がある。
そして、そのまま、忘れさられる可能性もある。

誰かが、自分がはっきり口にしなかった願いを、または遠回しに言った願いを、覚えていてもらおうという期待は捨てた方がいい。

休憩したい、とちゃんと言う必要がある。
話はそこからようやく始まる。


忘れてはいけないのは、誰もが、自分の欲求や望みを持っているということだ。
思い通りにならない不満ばかり抱えている人は、そこを忘れていることが多い。

より、望みや欲求を、はっきりと明確に口にする人、の願いの方が明らかに叶いやすい。
周りを見てみて欲しい。



願いの主語は、必ず、私、自分、である必要がある。


叶わない人、他人に振り回される人の話の主語は、私、自分、ではないことが圧倒的に多い。

日本語は、主語を省略して喋ることが多いから、少しわかりにくいが、面白いもので、やりたいようにしている、思い通りにしている、うまくいっている、と思われる人は、主語をはっきりさせて話していることが多い。

私は、僕は、俺は。
あなたは。君は。
〇〇ちゃんは。

〜したい、〜欲しい、のは自分である、ということをはっきり主張する。


ちなみに、私の統計では、自分のことを名前で言う人は、少し願いの叶え方のタイプが違う。
こちらは、主語を使わない人と少し近いところがあるように見える。

言葉の中心が、自分ではないという点で。
名前は、他者が自分を認識するためにある呼称で、自分が自分を認識するためのものではない。



願いが叶わない人、不満の多い人。
特徴その1。

自分の願いや望みをはっきり言わない。

主語が自分ではない。

自分の望みを伝える時に、あたかも相手の望みを推測したかのような伝え方をする。



「私は、〜したい」
「私は、〜欲しい」

まず、ここから。
言葉にして、発する。
小さなことも。

他人が関わることは全て。

人間はイルカではない。


少し余談だが。

これについては、古い古いヘブライ語で書かれた書物にも書かれている。
宗教について語るつもりはないが、その本は、人を幸せにするために書かれ、長く読み継がれている古いものがたりが書かれた本のひとつだ。
ギリシャ哲学の影響も多分に受けている。
ミラクルを起こし続けたある男性の四年間の伝記が話の軸になっている。
割と喧嘩っ早い、気の強い、だけれども、優しい男性の話だ。

彼は、自分の伝記は読んでいないだろうが、彼も読んだはずのものがたりが、彼の伝記の前に存在している。


彼も読んだはずのものがたり。
そこには、全知全能、なんでも可能、奇跡を起こし、全てを創造する存在が登場する。

その存在には名前がない。
形式的な呼称はある。
そことつながるためには、ただ、I amと言えばいい。

I am。
私は、だ。

ヘルシーな状態であれば、一番最初と一番最後に、人間は、一番大事なことを言う。
これは、科学的にそうらしい。
決まりごと。


一番大事にしなければいけないのは、自分、だ。
だから、望みは、自分を主語に発言する必要がある。

日常的に。
小さなことでも。