生きる理由が変わった朝

生物学的には、人間を動物として考えた時、私はもはやこの世に必要ないという明らかな事実がある。
私は子孫を残さない。


そこに悲壮感や寂しさは全くなくて、不思議なことに、私は、それがはっきりした後、しばらくするとすごく自由を感じはじめた。


そして、昨日の夜だったか、ああ、人間って1人だなと感じた。
それはちっとも孤独を伴わない感覚で、むしろ世界が広がる感じすらした。


そして、朝、また思った。


私は世界に必要ない。
ただ、私がいたいから、私が生きてたいから、私は生きてる。

私の自由な意思で。


世界に必要とはされてないけど、好きだからいるの。

そういう方が好きらしい。

世界に必要とされてるけど、好きじゃないの。

多分、これ、私には地獄。




世に必要とされる理由は、欲しけりゃ自分で作ればいいけど、ま、必要ないのでやめときましょ。


私には、私の体が必要。
それで十分だ。


私が生きる理由は、長らく、自然に死ぬまで生きるだけだったのだが、生きるのが好きだから生きる、に変更しよう。

二十年くらい理由だったことが変わった朝。

生きる意味が変わった。
淡々と。

生きるのが好きだから生きる。


これ、いい感じな気がする。