1*タイトルはそのうち

やりたいことができない。
ちっとも望みが叶わない。
人に振り回されてばかりいる。

不満が多い。
不満は、満ちてないことを不満という。

人生が思い通りにならない。



私は、長い間、といっても20年くらいだけど、そういう人の観察を続けた。
セオリーはあまり気にしなかった。
このジャンルに関しては、過去にはそんなに研究されてない。
過去は、問題解消について、または、よりよく生きることについての研究が主。

社会が物質的にある程度豊かにならなければ、これらは話題として浮上しにくい。
生きることにいっぱいいっぱいの時、多くの人が心を病むような社会情勢の時、我慢せざるを得ない状況の時、これらは後回しにされる。

溜まり溜まった不満は、時折、爆発すると大変なことになるから、だいたいの先進国ではけ口として、デモは認められているが、デモが何かを変えたところを、私はまだ見たことがない。
それで、不満の解消や望みを叶える方法としては、集団で動くことはやや弱いのかもしれないと考えている。
精神的には効果はあるかもしれない。

Twitterのようなソーシャルメディアで、個人個人が個人の意見を広げた時に、時折、社会は動き、願いが叶ったり、不満が解消される方向に動いたりするのを目にする。
こちらも数の力だが、デモとは違う部分が一点ある。


不満の解消、望みを叶える、そういうことについては、不満があっても、望みが叶わなくても、基本的には本人にしか関係しないから、それはおいておかれている。
溜まり溜まったものの吐き出し方については、ストレス解消としてよく語られる。


また、不満のない人、望みを叶えた人、それらのひとの精神構造に着目されている。


願いや不満が精神面だけに関わることなら、話はそれですむはずだが、私が観察を続けた中で、より多くのひとは、精神面だけの不満や、精神面での願いが叶わないことは言わなかった。

それらの人は、物理的、物質的、環境的、肉体的、ともかく、精神面以外の要素がそこに伴うことを口にした。


私は観察を続けた。

そして、不満が少ない人、やりたいことをやってるひとと、不満が多い人にいくつか違いがあることに気がついた。

性格のよしあし、人格、そういったものではなく、外側に出ているものを私は観察した。
内側は、自分しか観察できない。
他人の内側は、外側に出ていることから推測することしかできない。

私はエスパーではないから。
そして、地球はテレパシーシステムを使っているのは、いまのところ、イルカだけだから。

イルカくらい平和的な存在に人間がなれた時、つまり、脳の使用部分がもう少し増えた時、人間もテレパシーが使える日が来るのかもしれない。
進化がそれを選択すればだけど。


ただ、人間は、イルカは使わないコミュニケーション方法を使うことができる。
イルカは水の中にいるので、それはできない。


ともかく、私は、観察した。
目と耳で。


で、それをちょっとまとめてみようと思った。
次にいくまえに。


次。

次。


次は白い砂浜の世界。
その手前で、これまでをまとめてみたい。