場面設定*環境を表すメタファー

環境は大事、環境は大切。
いい環境を。
伸びる環境。

これらは、子育てなどでよく使われるフレーズ。


私は、「白い砂浜」というメタファーをあれこれ探索し、ひと段落ついたところで、環境の影響は大きいなと改めて思った。
白い砂浜のひとことでまとめたその景色は、軽くものがたりがひとつ書けるくらいの細かいことがたくさんある。
それらを、私自身に、ひとことでわかるようにしたものが白い砂浜という、「言葉」だ。


「白い砂浜」という言葉は、環境を表すメタファー(比喩)だ。
場面設定とでもいうのか、内的世界のものがたりが発展する環境とその状態を表す。

他のメタファーとは少し違う。

これまで、私の内的世界のものがたりは、魔法の世界を舞台にしていた節がある。
ここ3年は、オズの国、エメラルドシティ。
ファンタジーワールド。
そこでは、魔法のようなことが度々起こり、そこは冒険に満ち、ついには「わたし」は、ピンクの羽根まで手に入れた。


昨日、白い砂浜探検をした後、人生が次のステージに移るかな?と、最後に感じたのは、ものがたりの舞台が変わったことにある。

魔法の世界から、白い砂浜へ。

そして「白い砂浜」が現れた後、私は自分の中が伸び伸びし始めたのを感じた。
体まで軽い。


これは、私の周辺環境が変わるということを知らせている。
少なくとも、周辺環境に対する私の認知は変わっている。

現実的に反映されるのはもう少し先だろう。
だいたい2-3ヶ月。
これまでの経験だと、変わったということがわからないくらい、変化した自分の認知がなじんだ後に変化は訪れる。

そして、自分は変化には気がつかない。
認知は先に変化しているから、自分は当たり前のことのように、きっとそれを感じる。はず。



外的環境も大事だが、内的環境の影響も大きい。

環境は大事だ、と私はしみじみ思った。
それは人生の根っこの設定に関わる。

物事がどのように起きるか、どのような体験になるかは、環境が影響するところも大きい。
外側の事実としては、誰もが知るように。

内面もまた同じだ。


人生の根っこの舞台設定、環境設定がどのようにあるかは、その人が人生を理解する時に影響する。
ひとつひとつの反応にも影響する。

そして、ほとんどの場合、人は、自分の人生の環境設定がどうであるかを知らない。


自分の内的世界は、どこを舞台に繰り広げられているか?

戦場か、カゴの中か、森の中か、宇宙か、水の中か、意地悪な魔女だらけのおとぎの国か、平和の国か、それとも。


同じ出来事が起きた時、心の中で戦場に生きる人と、心の中で平和の国に生きる人は反応が違う。

例えば、誰かが自分がいる部屋のドアをトントンとノックする。
そのドアを開ける時に、戦場ならば、注意深さと勇気が必要だろう。
相手は敵かもしれない。
緊張感もあるだろう。
信じられなければ、ドアは開けないかもしれない。
恐怖かもしれない。


しかし、平和の国に生きる人は、どうだろう?
ドアを開けることに緊張するだろうか?
ドアを開けることに対した勇気は必要ないかもしれない。
誰が来たかな?と好奇心がわくこともあるかもしれない。
だけれども、ついうっかりドアをあけて、あちゃ!ということもあるかもしれない。
それでも大してひどいことにはならないのだ。
何しろ、そこは、平和の国だから。


同じことが起きても、内的世界の環境が違えば感じることは異なるし、出来事の解釈もまた変わる。


内的世界と外的世界の大きな違いは、それが目で見えるかどうか。
そして、内的世界については、それは必ずしも外的世界の事実とは一致しない。

平和の国に体はあり、平和な中を生きるけれど、内的世界は戦場にある人はいくらでもいる。

何がよくて、どのような環境がいいか悪いかは、本人以外、誰にも決められないのが、内的世界の面白さだ。


そして、それはいつでも外側の現実と無関係ではない。

そして、もしもその人が望むなら、それはいつでも変えられる。