幸せ*1

私が過去、試していた実験のひとつは、すごい幸せになると人はどうなるのか?だった。

周りをぐるりと見渡してみて、普通に幸せそうな人はたくさんいたのだが、すごい幸せそうな人は見つけられなかった。
花嫁さんが醸し出すみたいなオーラを撒き散らしている人とでもいうのか。

メイクやライトじゃ?ということでなく。
たしかに、花嫁さんは、メイクも濃ければライトもあたっているけれど。


二十代前半。
学校を出てしまった瞬間、人生の道は、友達とバラバラに別れた。
そこまでは、みな同じ。

大人になるという道。
春が来れば一学年上がる。
新しい環境になる。

卒業した瞬間、何を目指すかはバラバラ。
私は考えた。

何が幸せ?

自分は、というと、不満だらけだった。
環境にも、親にも、それから最大の不満は、自分。

何が幸せなのだか、わからなかった。

楽しいなあとか面白いなあとか、ワクワクするなあ、とか、嬉しいなあとか、そういうのは沢山あった。
しかしさて、幸せってどれ?幸せって何?と聞かれると、私には何が幸せかがわからなかった。

私が楽しいなあと思う時、幸せだね、という人もいれば、私がワクワクするなあという時、幸せやなあという人もいた。
また、私が嬉しい時、幸せでしょ?と聞いてくる人もいた。

それらは、私にとっては、楽しい、ワクワクする、嬉しい、という感情であって、幸せではなかった。

さらにややこしいことに、みなが言ってくる時の私の感情は、バラバラなのだ。

もしもこれが、楽しいなあという時に、みなが、幸せねと言ってくれたら、ああ、楽しいことを幸せというのかと私は覚えられたのだが、そうではなかった。


時を戻して、子供の頃まで遡るなら、親が言う幸せはもっと難しかった。
お腹いっぱい食べられて幸せなのよ。
学校に行けて幸せなのよ。
そういうこと。

それは、私には当たり前のことで、お腹いっぱい食べられなかったことなんてなかったし、学校に行けないことなんて考えたこともなかった。
学校は行かなくちゃいけない場所で、行きたいから行っていた場所ではなかった。
少なくとも私は。
行きたい場所に行ってるわけではないのに、幸せと言われると、さっぱりわからなかった。

ご飯を食べるのは子供の仕事です!学校に行くのは子供の仕事です!行きなさい!と言われたことが何度もあるが、こちらの方が、まだわかりやすかった。


また私は、学校に行けない、お腹いっぱい食べられない、そういう子供を見たことがあるが、私は彼らをかわいそうな不幸な子だとは思わなかったのだ。
なんとなく申し訳なかったけれど、それより、私は謎だった。
なんで?


本や映画、テレビや漫画に出てくる幸せも、今ひとつ納得いかなかった。
バラバラなのだ。
それ幸せなの?と謎なこともあった。

例えば、いつだったか私が見たドラマで。

ある女性が、付き合っていた男性をナイフで刺し殺した。
女性は、男性の遺体を前に、血まみれのナイフを握り、呟いたのだ。
幸せだ、と。


・・・謎。
それが幸せなの?
その時、どんな感情?



というわけで、私は、幸せとはなんぞや?を理解しないまま大人になった。
なぜ、誰も、これを不思議に思わず、普通にその言葉を使うのか、不思議に感じていた。

ただし、私は、非常に適応力というか、周囲に合わせることには長けていたので、親以外が相手の時は、一緒になって「幸せだね〜!」とか、普通に言っていた。
うちの親は2人とも、異常に勘がよく、そういうことはしても「心がこもっていない」と言われるだけなので、親相手にはしなかった。

幸せという言葉に伴わせる表情は、満面の笑顔であること、というのもきちんと習得できていた。
それ以外だと、なんだか妙なことになる。


私は、哲学などとは、遠い場所にいた。
周りに哲学者か心理学者でもいればよかったのだろう。
しかし、いなかった。


それで、私は自分で考えることにした。