成長*1

人は何をもって、「その人が成長した」と言うのだろう?
どういうことを「成長する」と言うのだろう?

これらの疑問は、私が、心理学や精神世界に関わりだした後に生まれた。
この場合の「成長」とは、何を意味するのだろう?


疑問が生まれたきっかけは、私が、勉強のためにワークショップやセミナー、講座に参加し始めたことだった。
20年前、勉強し始めた最初の2年を除いては、今に至るまで、私は自分の仕事のスキルのためにそれらに参加し、勉強している。
最初の2年は、自分を救うためだった。
私がその世界に足を突っ込んだのは、ある偶然がきっかけだ。


というわけで、私は、それらに自分自身を成長させるためという理由で参加したことは一度もない。
スキルということであれば確実に向上しているので、そういう意味では成長しているかもしれないが、それは、ワークショップやセミナーや講座でそうなったというよりは、習ったことを使った結果という気がする。
どんな知恵も知識も、知っただけでは、スキルは向上しない。
いつでも、人のために使った時、それは向上する。

ともかく、スキルの向上を目的として、私は勉強する。
勉強の場自体が好きなのもある。
それ以外は、あまり気にしていない。

スキルの向上を成長と捉えているかというと、それは単に技術力を強化しただけの話で、自分自身の人間性とはあまり関わらないと私は感じている。
仕事道具がバージョンアップしていくだけだ。


時折、あ〜成長したわ!と思うことはあるけれど、私にとっては、それはいつでも結果であって、先に、成長したいと思ったことは、大人になってからは一度もない。


子供の頃は、常にあった。

早く大人になりたい。

背が伸びて欲しい。(ある時期まで、私は背の順で並ぶと前から2番目が定位置だった)

そういう感じのこと。
大人になってからは、年は毎年取るけれど、あ、、、身長はまだ時々伸びているけれど、それ以外は、なにがどうだかよくわからない。

私は、変わり続けているが、成長してるかどうかは謎だ。
そもそも、何をもって、人の人間性の成長というのだろう?


私は純粋に好奇心を抱いた。


なぜなら、ワークショップやセミナー、講座に参加していた人達の中で、非常に多くの人が講座の参加目的として言ったからだ。
「自分を成長させたい」と。
圧倒的にその人数が多かった。


変わりたい、なら話は簡単だったのだが、成長させたい、とそれらの人達は言った。
成長したい、とも言わなかった。
させたい。

させるという表現が面白いな、と思った。
自分のことなのに、不思議だな、と。
興味深い、と私は好奇心を抱いた。


この自分が、身体的なことを指していないのは明らかだった。
私がいたのは、スポーツジムではなかった。
精神的なことや心理を扱うスキルや知識についての場所だった。

話は、心や人間性だ。


何のことを「成長」と言うのだろう?