夫婦の会話

夫がずっと気にしている。

彼は、準大手のゼネコンで働いている。
建築現場が止まりはしないか、彼は気にしている。

建築現場が止まっても、彼の身は安泰である。
彼の給料は減っても、現場手当くらいだろう。

彼が気にしているのは、日当で働く職人さん達のことだ。
自分たちの現場が止まったら、すぐに生活が立ち行かなくなる人が出る。

死んでも、ロックダウンはやめて欲しいと、彼は言う。


それから、どうやら、日本人は重症化しにくいようだねと、私たちは話した。
私がいる大阪は流行中だが、死者は2人のみ。
どちらも、持病のあった高齢者だ。

私は、BCGのおかげじゃないかという説が出てきたらしいよと、夫に言った。
イギリスが気がついて、研究をはじめて、アメリカも研究をはじめたよ。

私は打った、あなた、打った?BCG?と、私は、夫に聞いた。

夫は、僕は何かあるらしく打てなかった、抗生物質も大人になるまで、絶対に飲むなと言われていたと答えた。


じゃあ、あなたを守るために、今、あなたは私と離されていて、しかも、自転車通勤なのねと、私は笑った。

夫は、ウイルス流行のはじまりと共に、単身赴任になった。

私は、無症状なだけ、またはすでに発病して治ってるだけの可能性が、最初から高い。
なにしろ、うちから半径20分以内は、春節で日本旅行に訪れた中国人だらけだった。

私は、友好大使になると心で決めて、超積極的に道案内をしていた。
エレベーターの中でも、話しかけては、良い旅を!とやっていた。
切符売り場でもたもたする人には、お困りですか?と、自分から声をかけた。

イギリスやフランスで、自分がしてもらって助かったこと、嬉しかったことを、していた。
中国人は英語が通じる率が高いし、漢字があるから、意思疎通しやすいのだ。

韓国人は、ちょっと難しい。
あんまり英語がわからない人が、割といる。
ハングルは、私は、韓国人の友達が教えてくれたケンチョナヨ(大丈夫よ)しか読めない。


夫が去ってすぐくらいに、私はひどい風邪をひいた。
インフルエンザみたいで、だるくて、胸が苦しかった。

お医者さんはインフルエンザ検査をして、違いますねと言った。

「今年はあなたみたいに、インフルエンザみたいな風邪の人が多いんですよ」と言った。

私は2週間、礼拝を休んだ。


最近、治りはしたが念のために胃薬をもらいに病院に行った。
病院が閉まっちゃう可能性があると思ったからだ。

お医者さんは言った。
「あなたもなんですけど、僕、実は、大阪はもう今は、第二波の流行じゃないか?と思っています。
あなたも検査をしていないから、推測でしかないけれど、インフルエンザみたいなのに、インフルエンザではない風邪の人が、今年は本当に多かったんですわ。
お年寄りは、いつでも、肺炎で亡くなりますから、気にしてませんでしたしねえ。
うろうろしませんでしたか?」


私は、風邪が一番ひどい時は、ちょうどバイトは休みだったし、しんどかったから誰にも会わなかったと言った。
今は、私は危険だ、私に近づくな!と、お年寄りには言っています、意外にうけてみな笑っていますと、笑った。

「それなら大丈夫」とお医者さんは言った。


夫が一番危険だったのか!と、私は思った。


そして、私は夫に、しばらく帰ってくるな、休みは家から出るなと言った。

私にとっては、世界で何人死ぬかは問題ではない。

世界中が助かっても、彼一人失えば、何の意味もない。


君こそ、うろうろするな。
人数が増えてるから、礼拝は、さすがに、もうしばらく休めよと、僕がいないから、車では行けないんやから。一緒の教会に、おばあちゃんがいるんやろう?と、夫は言った。

今週末からは、ネット参加するから大丈夫と私は言った。

夫は、地震があっても、私の安否確認はしないが、私が病気になるのは、非常に不安がる。


そして、それから、私は言った。
ねえ、やっぱり福岡は、日本の三大都市じゃなかったね。

2人が見ているバラエティ番組で、たまに、名古屋と福岡が、日本の三番目争いをしていて、面白いのだ。

夫は、は?と言って、それから、ああと笑った。

私はね、名古屋には負けたくないの!たとえ感染者数でも!と、私は言った。


君は、どこまで真面目なんか、ふざけてるのか、わからんな、と夫は笑った。