旅仲間
数年前の1月1日、私はアメリカに行く飛行機に乗った。
行った先で、私にはアメリカに住む友達ができた。
日本人の友達だ。
その後、またアメリカとイギリスに行った。
間で、彼女が日本に一時帰国した時は、会いに行った。
去年、日本で私が主催したイベントを手伝いに、彼女はアメリカから来てくれた。
彼女は教会に通うクリスチャンだ。
彼女と過ごす中で、私は、自分がクリスチャンの人に対して、なんとなく抱いていた違和感が消えていくのを感じた。
誤解を承知で書くならば、私には、教会の礼拝や集まりが、仲良しこよしの趣味のサークルみたいに見えていた。
ぬるい。
彼女は、M先生みたいに、ジーザスの後ろをついていってるみたいに見えた。
本人に言ったことはないが、やってることがかっこいいと私は思った。
そして思った。
私は、かっこよくないと感じていたから、その中に入りたくなかったんだな。
なにしろ、私はちゃらい。
洗礼を受けようと決めた時、相談したのも彼女だ。
彼女と出会わなければ、私は、洗礼は受けなかったのではないかと思う。
私はすでにM先生を見ていたから、教会に行くことをクリスチャンというのではないと知っていた。
ジーザスの後ろをくっついて行く人のことを、クリスチャンというと思っていた。(今もそう思っている。)
ジーザスは、彼女と出会わせるために、私をアメリカやイギリスに連れて行ったのかもなと思った。
来て、見てごらん。
ジーザスはよく、そういう。
そして、彼女と私は、お風呂で洗礼受けた仲間になった。
ジーザスはその人生の中で、仲間たち(弟子)と、旅をした。
聖書を読む時、私はいつも、自分もその中にいて、ジーザスのやることを、すごい!とか、なんで?とか言いながら、見ている気分になる。
そして、不思議なことだが、その近くに彼女も立ってて、「ねえ、今の見た?」とか「あれ、どういう意味?」とか、言ってる気分になる。
私には同じ教会の仲間もいるし、日本の違う教会にも仲間はいるが、遠く離れた彼女が、聖書を読むときは浮かぶ。
一緒に旅してる気分になる。
不思議なことだ。