二日目の朝
さて。
二日目。
朝、起きて、外を見た。
よし、誰もいない。
私は5分だけ、散歩に出た。
雨が降りそうな空だが、空気はおいしい。
昨日は、不思議な一日だった。
はじまりと終わりで、まるで気分が違った。
一日の終わり、私の頭はすっきりして、希望に満ちていた。
それから、私は、ジーザスはすごいなと思った。
私は、これっぽっちも、自分が大変なことになるかもとは感じていない。
なぜなら、数日前に、ジーザスは、私に先に生きる希望を与えたからだ。
威風堂々の日記を読んでね。
ジーザスは、知ってたんだな、こうなることを。
そりゃ、そうだな!神さまだもの!
欲張りな弟子には、大きな希望を用意してくれた。
いかに私が欲深いかである。
私には、たくさん旅をする!という生きる希望がある。
そして、ジーザスは、私のお願いを、必ずきいてくれる。
昨日は、不思議な日だった。
まず、私は、現実を知らされた。
会社からの電話、保健所。
その後、これまで存在したある懸案事項が全て、私が休んだことで解決しそうだということに、私は気がついた。
「なんだか、全部、まあるく収まりそうですね。誰にとってもいい結果になりそう」と、昨日電話で話したある人が私に言った。
ほんとだ!休んでよかったかも!と、私は言った。
全然関係なかった懸案事項が、一気に解決だ。
私は、ゴールデンウィーク明けが楽しみになった。
その電話を切った後、私は、自分の頭が非常にクリアでいいコンディションなことに気がついた。
昨日の朝見た青空のように。
そして、その後、ぴょこぴょこと、あ!そうだ!と、いろんなことを思いつき始めた。
仕事のひとつが、グラフィックデザインであるものは、幸いである、その人は、静かな時間に救われる、と、私は、聖書をもじって呟いた。
私は、幸いである。
私でよかった。
他の人じゃなくてよかったと、私は思った。
そして、私を選んでくれてありがとうジーザス!と思った。
間あいだに、心配して連絡をくれた人とか、家族から連絡があった。
夫とも話した。
このような時、私は、彼が夫でよかったと思う。
サラリーマンとしてはいかがなものかと思うが、彼は、世間体や見た目を一切気にしない。
保健所に電話しろと言ったのも彼だ。
それにしても、彼はよくぞ単身赴任中だったことだ。
彼がいたら、話はもう少し複雑だった。
我が家は豪邸ではない。
夫の母とは、ゲラゲラ笑った。
彼女と私は、普通、面白がってはいけないところを面白がってしまう悪い癖がある。
彼女は、私の自宅待機を私と共に楽しんでいた。
実家の母は、野菜を送ってくれた。
今日、届くらしい。
本当に私でよかったと、私は思った。
私のことは、心配ない。
そして、家にこもる時、何が必要か、何を準備しておけばいいか、私は伝えられるようになった。
これはいきなり来るから、準備がいる。
そして、都会のみなさんは、もう、誰しも他人事ではない。
うん、私でよかったと、私は思った。
朝起きたら、友達が、いざとなったら防護服を着て行ってやるから連絡しろと、メールをくれていた。
昨日、ピン逃げで、物を届けてあげるから、通販で買えない物があったら連絡してと言ってくれた人もいた。
人は温かい。
なんて幸せなんだろうと、私は思った。
それが、二日目の朝。