自由の代償

第二次世界大戦に負けたことで、日本国民が手にいれたもの。
憲法が保証する自由。
マッカッサーが、どう考えても血迷って、ユートピアを夢見てくれたことで生まれた憲法。

たくさんの命と引き換えに手に入れた自由。

その自由は、ありとあらゆるところに影響しているらしく、もしも、非常事態宣言や緊急事態宣言を国が発令しても、日本は、他の国のように、外出を警察が取り締まることはしないのだそうだ。

知らなかった。

自粛のお願いまでしかしないらしい。
外出禁止にもできないらしい。
外出自粛の要請まで。

一度、インフルエンザの流行時に、自由を制限できる法律を作ろうとしたようだが、弁護士会が強く反対して、却下されたらしい。
一度制限された自由を元に戻すのは難しいかららしい。


他の国はGPSで、市民の居場所を把握までしようとしていたり、警察が発砲していたり、ドローンで見張っていたりする。

管理社会に見えたこの国は、どこよりも自由が保証された国だった。


そうか。

わかりにくいが、今は、自由を守るための戦いの中にあるのかと、私は思った。
他の国はウイルスと戦っているが、日本は、それだけでなく、自由を守りきれるかどうかの戦いの真っ最中。

私はそう思った。


そもそも、政府はずっと自由を制限できるように憲法を改正したい。
バカが多ければ多いほど、都合はいい。

国民が規制されなければ動けないというエビデンスを手に入れたら、迷わず、今を口実に使うだろう。
私でもそうする。

そして、多くの人は、そうだなと、ごく自然な気持ちで管理されることを選ぶだろう。


今はおそらく、憲法改正の国民投票で、どちらを選ぶか、みなが選んでいる時間なのだろう。

管理されることを選ぶか。
自由を選ぶか。

自由の代償は、自助。


私には、日本がこれまでと全く違う国に見えた。

アメリカは自由な国だと思ってきた。
違った。
日本が自由な国だった。

自分は、ちゃんと自由な国を選んで、生まれてきたんだと思った。
神さまが自由を愛する私に命を与えた場所は、どこよりも自由な国だった。


自由の代償。
バカな仲間を取り締まる術がないこと。

ひどいことになればいいと思っているようにしか見えない政府に協力する人々を、規制もできないこと。

それが自由だ。