自主隔離

詳細は書けないが、昨日午後に起きた出来事から、私は本日から自主隔離。
数日で済むか、二週間か。
早朝に散歩する以外、家から一歩も出ない。
買い物は通販。

私自身は元気だ。


夫に、どうしようかな?ブログに書くかな?と聞いてみたら、「当たり前やろ、書け、書け。そんな珍しい経験」ということで、書く。

友人は、明るい夫婦やなと笑っていた。

私は、とりあえず、昼間に話し相手をしてくれそうな友人を四人、確保した。
これに、母二人、夫。


まあよい。
流行の話題には、乗っておけ。


こういう時、やり方はいくつかあって、どれを選ぶかは人それぞれだが、私は、できるだけいつも通りに過ごそうとはしない。

ここまでもそうだ。
ブログの話題としても、流行病を避けてこなかった。

それがどのような出来事、感情であれ、私はライブで味わい尽くすと、27歳の時に決めたからだ。

今の悲しみは、今。
今の不安は、今。
今の喜びは、今。

ともかく、見なかったことにはしないと決めたのだ。
見なかったことが溜まり溜まって、大変な思いをした後に。



さて。

1日目。
私は昨夜から、取り急ぎの仕事の引き継ぎ書を作った。
引き継ぎ書と言っても、豚の生姜焼き、みそ汁、ミートソース、ポテトサラダ、こんにゃくのカツオ節あえなどの、料理レシピがいくつかだ。
運がよければ、数日後、自分が作りに行くだろう。


この出来事は仕事が関係しているが、休むのは、私の勝手だ。
できることはしておきたかった。


私にできる最高の対応、最上の誠意を考えた時、私には、休むの選択肢しかなかった。
自分を頼る人を、私は裏切れない。



それでそれを先程、朝の散歩がてら提出してきた。
さすがにひとっ子1人、歩いておらず、私は久しぶりにマスクなしで外を歩いた。

朝の空気が、肺まですうっと入って、気持ちよかった。


空気は、ご馳走だ、と、私は知った。

マスクを通さず、直接吸い込むきれいな空気。

これは、ご馳走だ。


空は青く、今日はきっといい天気になるだろう。


なんだか、とてもいい気分だった。
人の道を外れない選択をした自分をほめてやりたかった。


さ、今日は、お洗濯しよ。


明日はイースター。
ジーザスが復活した日だ。

私は、今朝、私の十字架から自分が自由になった気がした。


朝の青い空と一緒に自由を感じた。