今日もここからはじめよう

36.6度。
上がりそうな感覚はあるけど、きっともう大丈夫。

昨夜は、すごくぐっすり寝れた。
ありがとう。

それで、朝起きたら、体の感覚が、自分の体に戻ってきた感じがした。
そして、私は、すごく疲れてることに気がついた。
グッタリしている。
ここ数日で、一番しんどいかもしれない。

大丈夫な気がする。
また上がるかもしれないけど、熱の変遷のグラフを貼っておくね。
一日の平均グラフ。
36.8-38.2度の間で熱は出た。
だいたい37.0-37.5の間。

アレはこんな感じですよと、公表されている通りの動き。





それで、今、やっとグッタリしてるので、私は気がついた。
私、ものすごく必死だったんだということ。

私の頭が冴えていたのは、いつもとは違う、これは緊急事態だと、頭も体も認識していたからだろう。
体がしんどさを感じないようにしていたなと思った。

怖くなるから。
恐怖や不安は、免疫を下げる。


これで、私は結局なんだったのか、わからないまま終わる。
私の人生における新型ということは、自分ではわかる。
新しい経験だった。


数日、実に奇妙な体調だった。
今日は、自分の体という感じがする。
安心した。


周囲の人、全員に、心から感謝します。
ありがとう。

友情に感謝します。
ありがとう。

家族にも感謝します。
ありがとう。
夫にも。ありがとう。


私は、病院の力を借りれなかった。
(このことに、医療を信じてきた元看護師の夫の母は、深く傷ついている。)

助けてくれたのは、市販薬、ドラッグストア。通販会社。コンビニ。
人を選ばない(選べない)場所。


(病院は、肺炎の人だけを、ちゃんと拾おうとしているのだと思います。逆を言うなら、肺炎の人に病院を譲らないといけないんだと思います。普段元気で、風邪の症状が出た人は、その時点は病院に行っちゃいけない。人にうつすだけ。)


私は、割と敏感な体感をしています。
全部、ちゃんとわかった。
ありがとう。

少なくとも5人は、こっそりとなんかしてくれており、少なくとも二桁の数字の方が祈ってくれており、そして、現実的に手助けしてくれた方が数人、そして、一緒に笑ってくれた人たちが数人。
薬、補助器具を提供してくれた人。
支えてくれるピアノ曲まで用意してもらった。
「いつくしみ深き」
毎日、10回くらい聞いた。


ただの風邪では、人はここまで動かない。
私はピンチだったのだろう。

ピンチを救ってくれて、ありがとう!
自力じゃなかった。
たくさんの人に助けてもらった。

ありがとう。


ここ数日、ジーザスは、現れなかった。
直接は感じなかった。
私は祈ることもしなかった。
絶対に祈ってる人がいると確信していたので、祈るのは人に任せた。

ジーザスは、人と友情の温かさを、私に感じさせ続けてくれた。

こういうことですよ、友情ってね。
僕もね、君の友達だ。
友情を送るよ。
僕には体がないからね。
君の友達が君に送る友情の中に、僕の友情も紛れこますよ。

ピアノの音もね。
あげるよ。
ピアノの音と君も友達だね。
ピアノの音と一緒に、僕もいるよ。

君が感じる温かいものの中に、僕はいるよ。


私は、ずっとそれを感じ続けてた。

それから、ジーザスは、私に仕事をさせた。
私は仕事をしてれば、気持ちは元気である。
私は仕事が好きだから。

君が好きなこと、君が人のためにすることの中にも、僕はいるよ。


神さまって、なんなんだろうね?
温かいね。
ただ、ひたすら、温かい。


さて、今日もここからはじめよう。


ありがとう。