「神さまがいる世界」の効果
神さまがいる世界。
神さまの定義は、宗教によって異なる。一神教の神さまの定義は、Almighty 。
全知全能と訳されるが、今は、オールマイティのままの方がイメージしやすい人も多いかもしれない。
キリスト教の神さまの概念は、旧訳および新訳聖書に延々と続く。
その概念の全てを把握している人は、いるか、いないか。
なにしろ、膨大な量がある。
私は、仏教も好きだし、信仰に優劣はないと私は考えるが、この一点だけは、聖書の方を評価する。
考え方に違いがあり、仏教が音に価値をおいていることは理解しているが、聖書が誰にでも読める言葉に、教えが翻訳されていること。
書いてあるところで全てを把握はできないし、私が一年その世界で過ごした感覚では、人によってやや概念は異なる。
オールマイティの全てを把握できたら、その人はもはや神だ。
神さまの存在自体は三歳くらいからあったので、この一年、私がしたのは、その概念定義づけだ。
キリスト教的な概念定義づけ。
そして、一緒に生きると決めたことだ。
私の把握する神さまの定義は、愛と希望とミラクルとオールマイティ。
加えて、信じ、ジーザスの名前を通して願うなら、望むものを何でも叶えようという太っ腹ぶりだ。
その時が来たら。
ミラクルと愛、希望、そして、オールマイティが存在する世界、それが存在すると信じ、胸をポカポカさせながら、それをこの目で見る世界、それが私にとって神さまのいる世界だ。
生きてる間に見る世界。
自分が死んだ後のことは、私は、今、興味がない。
もう少し年を取ったら、興味が出るか出ないか。。。
それから。
クリスチャンは、カトリック、プロテスタント合わせて、世界に24億人いる。
聞いたところでは、その中の三分の一くらいが、ホーリースピリット・ネットワークに加入しているらしい。
7億人ちょっとが加入する互いの願いを叶え合い、愛を送りあい、助け合うネットワーク。
神さまがいる愛ある世界、という世界に住むことにした7億人のネットワーク。
そのネットワークは、時間と距離を飛び越える。
私の目は、日本国内だけを見てはいない。
私の望みは、別の大陸にあるからだ。
このネットワークのパワーはすごい。
インターネットよりも通信速度が速い。
神さまは、誰でも知ってる億万長者の大富豪に惜しげなく自身の財産を世のために放り出させ、体を顧みず働く勇気を与え、時に命すら恐れなく投げ出させる。
きっと怖くないのだ。
怖いのは神で、人は怖くない。
神さまがいる世界は、恐れを取り去るパワーがすごい。
小学生の時から読み続けている本の中に登場する神父さんに、なぜそれができたのか、M先生が、なぜそれができたのかを、私はこの一年で理解した。
彼らは、神さまのいる世界の住人だったから、それができたのだと理解した。
加えて、彼らは、神さまに救いを求めたわけではなく、神さまと一緒に生きたから、それができたのだと理解した。
彼らがしたことは、そのまま、聖書の中に書いてあった。
彼らは、聖書をそのまま行った。
いつくしみ深き共なるジーザスが存在し、自分と共に生きる世界の効果を、まだ私は一部しか知らない。
それでも人生が簡単になった気はものすごくする。
はいは〜いと言うことを聞いておけば(ようするに、自分が思うことに素直に取り組めば)、それで事は進む。
失敗しようがしまいが、そんなことはもはやどうでもいい。
進まなければ、それが、みこころかどうかすらわからない。
時がくれば、必ず、うまくいく、と、強い強い確信を与えるもの。
それが、私にとっての神さま。
私にはできないオールマイティとミラクルを、この先どれだけ見せてもらえるかを楽しみにしている。
つまりは、頭の中の思考の制限と恐れを外す効果を、「神さまがいる世界」というメンタルランドスケープと、「神さま」は持っている。
信じなければ効果はない。
体感がなければ効果は限定的。
「神さまがいる」と信じ、「神さま」の効果(普通は、働きという。The Works。直訳すれば、作用とも訳せる)を信じなければ、効果はない。
信じなければ効果がない理屈は、私は、クリスチャンになる前に、ブログのどこかに書いている。
私の理解は、そこから変わっていない。
私は、非常に現実的な人だ。
精神的マスターベーションも必要としていない。
加えてドライだ。
それでも、なぜかは知らないが、人は、私を信仰があついと言う。
そうじゃない。
当たり前だ。
徹底的に信じないなら、効果はないのだから。
ジーザスは好き。
優しいから。
「私の」ジーザスは、優しい。
ないよりあった方がお得。
それが、私が今、気付いてる信仰の効果。