厳しい神さまと優しい神さま
つづき。
おっちゃんUさんの神さまは、慈悲深いが厳しい。怖い。
私の神さまは優しい。甘やかし放題に私を甘やかす。
Yさんは、「2人は対極だ」と言った。
神さまも、その信仰スタイルも。
キリスト教の神さまは、ジーザスのお父さんとジーザスの2つの性格を併せ持つ。
徹底的にジーザスと仲良くしているのが私で、父なる神よりなのが、おっちゃんUさん。
「だってジーザスのお父さんは、やることが怖いから、私はジーザスが優しくていい。(お父さんの方は)ちいちゃいことは興味なさげだし」と、私は言った。
キリスト教は一神教なので、ジーザスのお父さんとジーザスはひとつだ。
もう一つ、ホーリースピリットがいるが、これも一つだ。
三つでひとつ。
三つあるけど、ひとつと言ったらひとつ!
三つと言ったら、クリスチャンじゃなくなるので、ご注意を。
深く考えないのがおすすめだ。
クリスチャンたるもの、三つはひとつ!と信じておけば、それでいい。
ジーザスが話の例えで、自分をぶどうの木で、父は農夫と言ってしまってるから、話はややこしいが、ひとつったらひとつ!
ぶどうと農夫は別もんだが、そんなことは気にしてはいけない。
ひとつ!
ともかくひとつなのだが、おっちゃんUさんと私は、そのひとつの違う側を感じているらしい。
そしてさらに、2人の違いは、願ったあと(祈ったあと)、能動的にがんがん動くのが私、みこころ(かみさまの思い)が与えられるのを受動的にひたすら待つのがUさん。
そういうことらしかった。
正解はない。
「何が神さまの思いで、どれが自分だけの願いなのか、私にはわかりませんけど、Uさんはどうやって、それがみこころだと判断するんでしょう?」
私はそう口にした。