諦めた!

神さまアウトソーシング契約を結び、淡々と約束した宿題をこなす間に、私の内面では大きな変化が起きはじめた。

さすが、相手は神さまである。

単に自分の話を言いふらせという訳ではない。
結局、それをすることで、私にも変化をもたらす仕組みとなっていたようである。

はめられた!訳ではない。

私が、自ら、こうしてくれたらむっちゃうれしい、何卒よろしく、私、ちゃんと言いふらしますから!と、お願いしたのだ。


起きた変化は、薄々、私自身、気がついていたことだ。
自分の望みには矛盾があるということに。

私の中には、AとBという2つの望みが存在していた。
そして、Aが叶うとBが叶わないという構図がそこにあった。

このひとつが叶うと、もう一つが叶わないという望みの構造がある時、Aは叶わない。
アクセルを踏みながら、ブレーキを踏むようなことが起きるからだ。


この場合、Aは外的に関係する望みで、Bは私個人の望みだ。
Aは〜したいという望み。
Bは〜を保ちたいという望み。

私の気質的には、Bが保たれずとも大丈夫だろうと、客観的には考えられることが多い。
むしろ、私はその真逆のキャラクターだと捉えられることが多い。
しかし、私は、ここまでBを保つことに、実に多くのエネルギーを割いてきた。


宿題をこなしはじめたこの2週間、私は、毎晩、同じような夢を見始めた。
それで、私は、ああ、何か深いところが変わりはじめていると気がついた。

それらの夢が、今まで見たことがない夢だったからだ。

そして、今朝、私は「仕方ない。諦めよう」と思った。
AかBかどちらが大事かといえば、Aが大事なのである。
Bは諦めよう。


しかし諦めた同時に、私は、別のことに気がついた。
自分がすでに先週、プランCを動かしはじめていたことに。

人に質問されて、私はそれに気がついた。

「これはいったい誰ですか?」と、私に質問した人がいた。

私は、「それは、〇〇で、そうすると私のBは保たれます。〇〇が私だということは、知ってる人は知っているけれども、それらの人は私を知っているので、私のBを脅かしません。」と答えていた。

Bを保ちながらAを叶えるために、私が生み出したものが〇〇だ。



それにしても、不思議な話だ。

この2週間、私は、本当に不思議な気分になっている。
今までで一番、誰の顔色も気にせずブログを書いている。

私が書いている話の中には、アンタッチャブルな話題も混じっている。
それでも、何も怖くない。
私の手は止まらない。

書いたものを読んで、誰が何を思うかも、全く気にならない。
そして、歌を歌いはじめ、作詞作曲をし始め。

毎日毎日、黄色いバスが必ず走るという確信だけが強まっていく。


ただ、あなたに付いていこう。

目の前にあるのは、あなたの背中だ。
私はあなたに向き合うことはしない。
私は、あなたを感じながら、自分と向き合い続けよう。

そして、ただ、あなたの背中についていこう。

その先に、黄色いバスが待っていると、信じられる。


不思議な感覚だ。


自分の能力をあきらめ、Bをあきらめ、そして、この軽やかさ。


不思議だ。