クリスチャントラップ

なんで、こうなったんや?と、私は、たまに首を傾げる。

ジーザスは、「あなたの」願いを叶えますよと、聖書には書いてある。
しかし、「神さまの」思いを叶えたい人が、本当に多いのだ。

Why?

これ、私が知る限り、一般社会的には、願いが叶いにくい思考だ。
願いを叶える神さまの宗教で、なぜ、願いが叶いにくい思考が蔓延っているのだろう?


謎だ、と、私は思った。


自分も計画はあるが、人間の願いを叶えたい神さまvs神さまの計画を叶えたり、神さまの願いに従いたい人間。


これは、完全なるトラップだと、私は思った。
クリスチャンが引っかかる思考トラップ。



私は、このような謎を抱えた場合、どうすることにしているかというと、おっちゃんUさんで試してみることにしている。

おっちゃんUさんは、自分の願いはさておいて、神さまに譲ってしまう、敬虔なクリスチャンであるからだ。


私がこの一年、ジーザスと仲良くしてみた限りでは、ジーザスは、困りごとについては勝手にやってくれるけれど、願いや夢や幸せになるための望みは、勝手にやらない。


ジーザスは喜ばせたいわけだから、その願いや夢や望みを持っていると、本人が把握している必要がある。
それは、「私の」望みだと。


「神さまの」望みが叶うと嬉しいという人には、私は、質問したい。

「あなたは、なぜ、それが神さまの願いだと知っているのでしょう?」

Why?



それで、私が、つい最近まで、おっちゃんUさんで試した実験があり、やっぱそうだよねえと思ったことがあるので、今週は、それを書いてみよう。