天罰
ある日、私は祈った。
その少し前に母が電話してきて、父について話していた。
それは、父が明らかに悪かった。
それで、私は祈った。
「神さま、お父さんがもしも悪さをしているなら、お父さんに罰を与えてください。そして、平和を与えてください。
父と子と聖霊の名において、み前にお捧げいたします。」
普段は、お祈りで使わないフレーズを使った。
普段はね、私はプロテスタントなのでジーザスの名において、お祈りする。
これは、カトリックマターだと、私は思ったのだ。
それで一瞬だけ、カトリックになることにした。
カトリックとプロテスタントがどう違うのか、はっきりとはわからないけれど、お祈りの最後が違うのは知っていた。
それから、私は、即座にプロテスタントに戻り、また祈った。
「神さま、人を罰してほしいと願う私を許してください。
ジーザス・クライストの名において、お祈りします。」
神さまというところを、天のお父さまと言う人もいる。
私は、神さまという。
普段、自分がするお祈りに定型はない。
ともかく、よし、これでチャラだ!と私は思った。
人を罰してくれとか、祈っちゃいかん。
許してくれて、ありがとう!と、私は思った。
こんな適当なクリスチャンは、あんまり聞いたことがないけれど、今のところ、私はひどい目にはあっていない。
その翌日。
母が大爆笑しながら、私に電話してきた。
「お父さんが新幹線に入れ歯を忘れてきたのよ!ああ、おかしい。」
父は、総入れ歯だ。
母はけらけら笑い、前日話していたことは、どうでもよくなったようだった。
私は、「バチが当たったな」と言った。
バチが当たったのではない、正確には、天罰をあててくれと願ったのだ。
電話を切った後、私は、父はやはり何かやらかしていたと思った。
入れ歯をなくして、二週間ほど、恥ずかしい思いをする罰くらいの何か。
だいぶ、恥ずかしい。
それから私は、神さま、仕事が早い!と思った。
それにユーモアがきいてる。
神さまは冗談が好きなんだなと思うことはよくある。
笑っていれば、みな平和。
(父はむすっとしていたが。)
ともかく、なんて素晴らしい!と、私は、神さまに感服した。
入れ歯のことも知ってるなんて。
そして、父が受けた罰で、誰も傷つかなった。
面白かっただけである。