カルチャーショック
私はある日、とんでもないカルチャーショックを受けた。
その日は、礼拝の後に、他の教会の牧師さんが、聖書のお勉強会を開いてくれた。
私の通う教会には、入れ替わり立ち替わり、いろんな人が遊びに来て、一緒に礼拝したりおしゃべりしたりする。
時には牧師さんもやって来る。
とても楽しい。
それで、その日の牧師さんの話はとても面白かった。
けれど、内容には目新しいものが無く、教会に通い始めてから、一番当たり前の話を聞いたと、私は思った。
周りのみなは、素晴らしいと言っていた。
私は、不思議だったので、思わず、手を挙げて質問した。
「当たり前の話ですよね?よく聞くけど。」
そう、それは、教会の外ではよく聞く当たり前の話で、クリスチャン以外の人たちでそれに一生懸命な人がたくさんいることを、私は知っていた。
私の知り合いや友人にもたくさんいる。
自然について、福祉について、心について、芸術について、社会について、分野はバラバラだけれど、地上を天国にするために、多くの人が世界中で働いている。
自身も、はるか前にブログに書いた。
地上に天国を。
私たちが住むのは、荒れ果てた天国だ。
私は、当時まだ、クリスチャンになる気もなかった。
でも、そう思った。
同じような人は、周りにいっぱいいた。
つまり、その日の話は、自分にできる社会貢献しましょうという話だった。
神さまの計画は、地上に天国をだと。
私は、また食いついた。
「それは、当たり前の話ですよね?みんな普通にやってるような気がするけど、クリスチャンは社会貢献しないんですか?」
私は、不思議だった。
だって、祈るじゃん。
礼拝のたびに必ず。
御心の天にあるがごとく、地にも与えたまえ。
天にあるのは天国でしょう?
なら、地上にくれとお願いしてるのも、天国でしょう?
祈るけど、やらないって、そんな人いるの?と、私は首を傾げた。
ジーザス、祈ったらすぐ、やれって感じだけど。。。
何?ジーザスは人によって態度を変えるのか?と、私は思った。
でも、聖書に書いてあったよ。
約束したなら、さっさとやれって。
イザヤ書だっけ。
伝道者の書だっけ。。。
どっちか。。。
お祈りって、約束だよね?と、私は思った。
神さまは体がないんだから、自分たちでやるしかないじゃん。
神さまはもちろん最大限に力を貸してくれるだろう。
けれど、神さまには体がない。
自分たちがやるのは、当たり前だろう。
やらない人なんているの?と、私は不思議だった。
じゃあ、何をやる人をクリスチャンというの?と、私の頭の中には、ハテナマークが広がった。
その日の午後はとても楽しかったのだが、同時に、私は、ものすごいカルチャーショックを受けた。