聖餐式(2)

聖餐式の話の続き。

おっちゃんUさんが、聖餐式の仕切りを元に戻してしまった日。

私は、Uさんの斜め向かいに座っていた。
私の正面にはSさん、そしてお隣にはTさんが座っていた。

2人は顔をしかめていた。

Uさんが、古代ギリシャの道端で、聴衆を前に演説するどこぞの伝道者のような口ぶりになってきた瞬間、私は、右手を手のひらを下にして、上から下に静かに一度振り下げた。

これは、うるさい、声を小さくしてという合図だ。

Uさんの声はトーンダウンし、柔らかくなった。
私の左に座っていたYさんが、くすりと笑った。
Rちゃんが、ホッとしたようにうなずいた。


その後の週なかば、Rちゃんと私はSNSのDMのやりとりの中で、聖餐式の話をした。

ありゃ、なんとかならんか、みんなの願い。
ホーリースピリット•ネットワークがあれにはなぜか機能しない。

なぜだ?と、私は笑った。


翌週、Uさんが帰っていった後、私は、SさんとTさんと話をした。
2人も困っていた。

そして、それから、私は笑いながら、Yさんに言った。

聖餐式のお勉強会をしてください。
調べるのはあなたの仕事。
私は言うだけ。


その場には、最近、礼拝に来るようになった大学生のAちゃんがいた。
YさんはAちゃんの方を向いて、「いつもこんな感じなんですよ。あれをやれ、これをやれと言われ」と笑いながら言った。

私は、「得意な人が得意なことをすればいいんですよ。私は、思いつくけど、調べるのは、得意じゃない」と言って笑った。


そして、その日のあと、もう一度、Yさんにメールした。

聖餐式の勉強会をいつするかという話。

そして、いつやるかは決まった。


儀式的なことは、ホーリースピリットはどうでもよいらしいと、私は感じた。
ホーリースピリットがどうでもいいなら、人間でやるまでだ。

教会にいるのは、ホーリースピリットだけじゃない。
そこに集まるのは人間だ。


私たちの聖餐式を作りましょう、と、いうことになった。


私の頭の中にある問いはひとつ。
私たちは、聖餐式をすることで、何が起きればいいのだろう?


答えは、勉強会の日にわかる。