朝のお祈り

なんとなく、今日はお祈りからはじめよう。

私は、両親を除いては、割に信心深い一家に育っている。
夏休み、おばあちゃんが仏壇にお経を唱え、家の近所のお墓に参ってから一日を始めるのを見て、なんてしんきくさいと思っていたが。

気づけば似たようなことになっている。

ただし、私は、晴れた日ならば猫を散歩させながら、ベランダで祈る。
それから大きく伸びをする。

このように、だいぶ、おばあちゃんと私では、スタイルは違う。
和物と洋物の違いもあるかもしれない。



さて、これは定型のお祈り。
宗派とかで、ちょっと中身は微妙に違うかもしれない。

( )内は、私の意訳。


.......

天にまします我らの父よ
(神さま)

願わくばみなをあがめさせたまえ 
(あなたが大好きよ)

みくにを来らせたまえ
(心の中が天国みたいに平和でありますように)

みこころの天にあるがごとく
地にもなさせたまえ
(地上を天国にしてください)

我らの日用の糧を今日も与えたまえ
(今日もごはんや生きるためのお金、必要なものをありがとう)

我らに罪をおかすものを
我らが許すごとく
我らの罪をも許したまえ
(私も人には優しくしますから、私にも優しくしてください)


我らを試みに合わせず
悪の道より救い出したまえ
(試練とか与えないで、すくすく生きられるようにしてください)


国と力と栄とは
限りなくなんじのものなればなり
(だって神さまなんだからできますよね?私、信じてる)


アーメン



天にまします我らの父は、ジーザスのお父さん。
このお祈りは、ジーザスの名前を通さないで、お父さんへダイレクト。

私は特定の祈りたいことがない日も多かったりするので、そういう日は、これをぶつぶつ言う。

だから、使徒信条はちっとも覚えられないけど、このお祈りは覚えている。
これは言うと、なぜだか、胸がポカポカする。

時々、私が個人的にここに、神さま、今日も一緒にいてください、とたすこともある。
すると、さらに胸はポカポカする。


今は、ここに、世界に平穏をもたらす努力を続けてくれてありがとう、をプラスする。
すでにやってるだろうから、お礼だけ言う。
やってないなら、神さまじゃない。


長いお祈りがめんどくさい日は(神さまは性格は変えない)、神さま、今日も一緒にいてください、アーメン!で終わる。

それでも、胸はポカポカする。

私はお祈りが好きだが、その理由は、お祈りすると、胸がポカポカして気持ちいいからだ。
快楽主義者のハートを、お祈りは、きゅっと掴んだ。

ほんとに気持ちいいの。

でも、これは、言っても通じる人と通じない人がいて、クリスチャンになれば、お祈りは気持ちいいということでもないみたいだ。

私は、お祈りは、胸が温かくて、気持ちいい。
だから好き。


さて、じゃあ、今日も一日はじめよう。