分岐点

こんな時期を生きているのに、記録しないのはもったいないので、今日も思うことを記録。

ここまで、自助と自主性を期待する国は、今のところ日本以外の先進国には見当たらない。
社会崩壊をさせないことを最優先にしているように見える政府は、私が見たところ、先進国では日本だけだ。

なんやねん、お肉券。
(笑えないネタだったが、一応珍事として記録しておこう。)

みながすでに消費していることに気づかない坊ちゃん達の集まりが繰り広げる政策は笑えない。

マスク、アルコール消毒液。
普段使わないものの購入が、家計に影響を与えている普段自助で頑張っている家庭も多かろうに、肉を食えと。
すでに、お金を使っていて、加えて収入が減っていて、その小さな金額が家計を脅かす人も、きっといるはずだ。


自助が無理な最下層は助ける、企業も助ける、ただし、他は自分で乗り切れと宣言したように見える政府は、日本だけだ。

さて、これは、吉と出るか、凶と出るか。

国民が政府が期待するレベルならば、吉と出るだろうし、そうでなければ、凶と出るし。

今のところ、うまくいってるようには見えない。


私の住む自治体は、すでに感染症の人が使えるベッドの数より、入院している人数が多い。
隣の知事同士が仲が悪い県には、まだ余裕があるが、隣の県も増えてきているから、すぐベッドが足りなくなるだろう。
千葉と神奈川も、すでにベッドが足りない。


少しずつが入院すれば、ベッドの数以下の人数でだらだらいければ、それでいけたのに、三連休、人混みに家族で遊びに出た人達がたくさんいた。
引き連れていったのは大人だ。若者じゃない。
近所の公園にしとけばいいのに。


死者の数が問題なのではなく、ベッドの数が問題なのに、それすら理解できない大人がたくさんいる。
感染症が専門の医者がどれだけいると思っているのだろう?
寿命で亡くなる人は、毎日、たくさんいる。

ベッドが足りなくなった時、何が起きるかを、私たちはすでに知っている。
知っているが、すでにベッドが足りなくなってきていることを知らず、それが想像できない大人がたくさんいる。

これは、都会も田舎も関係ない。
調べればすぐわかるが、田舎は感染者は少ないが、ベッドもうんと少ない。
対応できる病院が少ないのだろう。


大人にできない我慢を、若者に期待できない。
むしろ、若者に怒って欲しい。
僕らの、私たちの人生を、どうしてくれる?と、彼らは飲み屋に集まる大人に怒っていい。


政府は自助と自主性を期待する。

遊びに行かないだけで、少しだけみんなが我慢するだけで、できるだけ普通の生活が続けられるやり方があるのに、少しの我慢ができない大人を多く抱えている国に、この方法はうまくいくか、博打だなと思う。


災害時、日本の国は素早い。
助けや義援金、ボランティアも集まる。

今回はそれと違う。
全員が対象だ。

そして、政府は、全員公平には助けないよということを見せ続けてる。
公助の理念はないらしい。


家を出られなくなったら苦しむ、虐待を受けている子供がたくさんいる。
学校が再開できるようにしてあげないと、彼らは地獄を見る。
親と一緒にいることが地獄の子供がいる。
彼らを思うと、私の胸は、しばらくずっと痛んでる。


ご飯は給食しか満足に食べられない子供がたくさんいる。


大人は、ちょっと我慢するだけ。
少し夜、寂しいのを我慢するだけ。
少し、家族が仲悪いのを我慢するだけ。


死者や感染者の数字だけで、判断しない方がいいと、私は思う。


かかったって大したことない人がほとんどだ。
だから、病気が怖いんじゃない。


21世紀に生まれてきたのに医療が受けられない、虐待を受ける、人生が狂う、ちょっとの我慢で防げた地獄が、この世に現れることが、私は嫌だ。


ちょっとの我慢で、日本は奇跡の国になれる。

奇跡の国か、地獄の国か、私たちは、分岐点にいると思う。