ライブな神さま

礼拝の最初にみんなで読むもの。
それが使徒信条。
ジーザス人生ダイジェストだ。
それをほんとだと信じますよと書いてある。

これ、信じないとクリスチャンじゃないから、信じてる。
信じるのは、覚えてるのとも、理解してるのとも違う。
信じる!と思えば信じてる。

だってさ、2000年も前の話よ。
どうせ事実はわからない。
信じて害はない。


というわけで、私は、ジーザスの人生の流れはだいたい知ってるのだが、この使徒信条のフレーズは一向に暗記できない。

不思議なくらい、頭に入らない。

使徒信条を言えと言われたとしたら、私が大きな声でいうのは「ポンテオピラト!」だと思う。

そこだけ暗記してる。
このイタリア料理やさんみたいな名前。

あ、あと「をとめマリア」、これは、を、が気になって覚えている。
なんで、おとめか乙女ちゃうん?
まあ、古いのだろう、文章が。


あと、十字架もあった気がする。


と、このように、私は、名詞は覚えているが前後の動詞を記憶していない。
これ、むっちゃ珍しい。

だいたい、私は、物の名前を覚えるのが苦手なので。

使徒信条を言えと言われたら、をとめマリア、ポンテオピラト、十字架。
長い文章だけど、3語しか、今、浮かばない。


じゃあ、私は、何を信じてるのか?

ジーザス。神さま。

多分ね〜。
もし、その人生を知らなくても、私はジーザスは好きだと思うよね。

存在とストーリーはまた別だ。
書いててわかったけど、私は、存在を信じていて、存在が好きなんだな。
ストーリーもドラマチックで面白いけど。

2000年前に起きたことじゃなくて、今日本日現在、私と一緒にいてくれるジーザスが好きなんだわ。

それは、聖書には書かれていない。

今日、起きてること。
神さまはライブな存在だ。