会話いろいろ

ひとつ前に、まとめみたいなことを書いてしまったから、ネタ切れかと思ったが、それはなかった。


ある日、おばあちゃんの方のSさんが言った。
「あなた、それは、あなたは自分でここにやって来たからよ。ほとんどの人は、誰かに連れられて、最初は教会に来るのよ。」


そう、私、かなり珍しいパターンの現れ方をしたようだった。
私は、「クリスチャンになるから洗礼してください」と言って、教会に通いはじめた。

「別に救ってもらいたいわけじゃなくて、救われてるんでそれはもうよくて、でも、クリスチャンになりたいんです。」

私がそういうと、「キリスト教の救いとは!」と、みんな慌てて説明してくれた。

今はですね、おかげさまで、何を救いというか、説明はできるようになりました。
聖書通りの借りものの言葉でございます。
しかし、正直に言うが、感覚としては、ぶっちゃけよくわからない。

神さまにしか見分けがつかないらしいので、わかる日は死んだ後だろう。

ただ、救われた!と信じている。
信じるってね、理解してるということとは違うのがよかったよね。

でも、だから、私が、ここで魂の救いについて語る日は当分ないだろう。
宿題の課題は、自分の体験を書けという内容でよかったわ。


洗礼のお勉強会の時、「一度死んで生まれ変わるみたいなものですが、抵抗はありませんか?」と、O牧師さんが聞いてくれた。

私は、「一度死にかけたことがあるので、大丈夫です!二回目ですね!」と、元気よく答えた。

「それとはまた違います」と、もちろんO牧師さんは言った。

結果として、二回目の生まれ変わりは、たしかに一度目とは違った。
私は、こんなに楽しいなら、何度生まれ変わってもいいと思った。

温かくて、気持ち良くて、ちょっと息苦しかったけど、笑えて。
歌があって、みんな笑ってて。

何のご褒美かと思うくらい楽しかったので、何度あってもいい。



洗礼の後、「洗礼で罪は清められた」と聞いた。
それで私は、「また罪で汚れることもありますか?」と聞いた。

O牧師さんは、「あります」と言った。

私は、「そうしたら、また洗礼してもらったらいいですか?」と聞いた。
O牧師さんは、苦笑して、「それは初めて聞きました。斬新ですね」と言った。

だから、また、罪に汚れた場合の対策は、不明である。
私は、今後クリスチャンとして生きるにあたり、むしろ、一番、それを聞いておきたかった。

何事にも備えは必要だ。


これらの話を私から聞いた、別の教会に通うお友達のクリスチャンIさんが、「だからYちゃんは、悪魔に入られにくいんですよ。そういう人の方が、入られにくい」と言った。

なんでも、良い人でいたい人の方が危険らしい。

私は、「まあ、どっちかと言えば、悪魔に近い、私は」と言ったような気がする。