僕らクリスチャンは
おっちゃんUさんの口癖。
「僕らクリスチャンは。」
おっちゃんUさんがそう口にするたび、私は言う。
「違うでしょ。僕は、でしょ?」
だって、おっちゃんUさんが言う、僕らクリスチャンは、の内容は、だいたいいつも、私は違うもの。
私もクリスチャンだけど。
これは、クリスチャンに限らず、こういう癖がある人はいる。
自分の意見を言う時に、私は、僕は、と言わないで、私たちは、とか、我々はとか、Weで言う人。
さらに進むと、ダイナミックに主語が省略されて、誰の意見かわからないようにしてしまう人もいる。
主語の省略は、何かを考えるときには特に、思考が混濁する原因になるので、おすすめしない。
集団の中に、自ら埋もれようとする人。
こういう人の願いは叶いにくい。
叶う願いは、私、僕、Iの願いだ。
ほとんどの場合、そこには深い意味はなく、単なる口癖のことも多い。
けれど、口癖は意外と曲者なのだ。
言葉を脳はちゃんと認識するからだ。
それが、願いを叶える神さまを深く信仰する人の口から出ることが、つくづく不思議だ。
おっちゃんUさんの夢を叶えるプロジェクトで最初にすることは、「違うでしょ、僕はでしょ?」という事。