終末思想
スピリチュアルブームが流行った時期、私は何度か、腹を立てた。
どういう時に、腹を立てたかというと、起きる自然災害を神さま(主に日本の神さま)に結びつけて、神の怒りだとか、これは神の計画だとか、解説しているものを読んだり、語ったりする人を見た時にだ。
当時、私は、人の不安や恐れを煽るようなことを書いた人に腹を立てているのだと思っていた。
違った、ということに、昨日、気がついた。
お前ごときに、神さまの計画がわかんのか、ボケ、と、腹を立てていたのだと気がついた。
人間の分を超え、神さまの計画をまるで理解しているみたいなことに、腹を立てていたのだ。
そして、そこに、全く愛を感じなかったから。
終わりを語るそのどこに、愛がある?
ほんでなんで人間にわかんねん。
神さまを冒涜するにもほどがある。
人は、未来を考えるから、生きていける。
あの時、私が言いたかったことは、「もしも、あなたに本当に人を救いたいという意志があり、神の計画を理解できるほど、あなたが神に近いなら、あなたには別にやることがある。どうして、それをしないで、人をただ不安に陥れるようなことをする?」だったのだと、私は思った。
人間には、人間の分がある。
人間なら、「その計画を変えてくださいと祈らんかい」と、私は思ったのだと気がついた。
その方がよほど愛がある。
時は流れ。
聖書は、スピリチュアルマニアよりは親切だ。
しかしながら、人間が地球に生きていれば、そりゃ何度でもありますわいなという事象が、終末サインに結びつけられているので、昔から、聖書を信じる人々を何度も恐怖に陥れている。
しかも、書いた人がもういない。
でも。
ホラーを書いたヨハネはもう一つ書いている。
こちらは、愛についてだ。
ヨハネの福音書。
"あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。"
ヨハネの福音書 15章7節
ジーザスが言ったのは、何でも、だ。
そして、叶えられると言った。
聖書は、なんて愛ある書物なのかしらと思った。
書かれた順番と、掲載順が違うところが、トリッキーだけど。
私には、ヨハネさんが、黙示録のオチを、福音書に書いていったみたいに見える。
希望を置いていったみたいに見える。