希望の星
何かを望むのに、誰かや何かの許可が必要だと深いところで思い込んでいる人は多い。
かく言う私も、過去は、そうだった。
自由にやってるように見える人ですらそうだった。
しかも割と最近、5年くらい前まで。
私は、それが登場した時、ほんとにびっくりした。
気づくまで、それは何の違和感もなかったから、そのことに、余計にびっくりした。
具体的に何をしたかったのかは忘れてしまったけれど、それは内面に関わることだった。
その時、私はそれを、I need to get the permission.と英語で表現した。
私は、許可証をもらわなくちゃいけない。
英語で話した理由は、相手が日本語を理解しない人だったからだ。
やがて、話が進む中で、私はI need just to do it, I don’t need anyone’s permission.と言った。
私は、ただやればいいだけ、だれの許可証もいらない。
心の中の話に、いったい誰の許可が必要だったのだろう?と、私は思った。
話を聞いていた相手は、少し微笑んだ。
後から、彼が、望む資格などないと書いているのを読んだ。
誰でも自由に望める、望みと結果は最初から関係していない、望みは望みだ。
宝くじを買わずして、宝くじに当たりたい、いわばそれが、望まずして望みを叶えたいだと書いてあった。
望みは心の中にある。
誰にも見ることはできない。
時には、それを、自分すら見ないこともある。
自分には、それを見る資格がないとその人が信じている時、その人はその存在にも気づかないことがある。
けれど、望むのに資格はいらない。
誰でも望める。
そして、望みは言語化できた時、叶う確率が跳ね上がる。
特に、それが、現実も絡むことならば。
言葉が、その人の内側と、外の世界をつないでいるからだ。
だから、意識は現実を変える。
だから、他の人と分かち合うことができるから。
望むのに資格はいらない。
誰でも自由に望んで構わない。
そう信じられる時代に、今、ようやく人類はたどり着きつつあり、日本では、かなりの人が、そう信じて大丈夫な状況にある。
望んだことが命を奪う可能性は、この国では、限りなく低い。
世界の多くの国も、今は、そうだ。
そうなるまでに、実に多くの過去を生きた人達がいる。
彼らのがんばりなくして、今はない。
当たり前にあるように見える私たちの人生は、保証された自由は、過去を生きたたくさんのたくさんのたくさんの人の願いの集まりだ。
自由に生きたい、願いを叶えたい、けれど、絶対にそれが叶えられない時代を生きた人たちの願いの集まりだ。
彼らの希望の星が、今を生きる私たちだ。
誰もが、希望の星だと、私は思う。
何かを望むのに資格はいらない。
私は、そう、信じてる。
誰もが、希望の星だ。
そう信じてる。