母性のシェアリングエコノミー
分かち合うものは、たくさんある。
特に、自分の中に余っているものは、楽に分けられる。
余っていると感じるものは、足りない誰かに分ける。
分かち合う。
シェアリングエコノミーの仕組み。
しばらく前に、私が気がついた私の中に余っていたものがあり、私はそれを、二年前くらいから分けはじめた。
お金だけは、十年前くらいからはじめていたが、二年前から、そこに物が加わった。
私の中に余っていたのは、「お母さん」だ。
母が私にしてくれたことで、いつか私もするのだろうと思っていたけれど、自分の子供にしてやることはなかったこと。
私の中のお母さん成分が余っていると、私にはっきり教えてくれたのは、見知らぬアフガニスタンの女の子だ。
二年前、アフガニスタンの女の子に、ピンクのランドセルと、小学校に入学する時に必要だろう筆箱、鉛筆、ノートなどの文房具を買った時、私は、感じたことのない幸せを感じた。
なんだこりゃというくらいの喜びに私は満ちていた。
文房具やさんで、泣いた。
やりたかったことをやらせてもらえた喜びで泣いた。
クリスマス会で、子供たちがお菓子を詰めて持って帰るための小さな赤い靴下型の入れ物を大量に買った時、嬉しくてたまらなかった。
子供達が嬉々として、そこにお菓子を詰めているのを見た時、こころは温もりでいっぱいだった。
最近、必要があって、少しずつ、玩具箱の中身を揃えているのだが、それがまた楽しい。
自分の子供を諦めた時、私は、世界中の子供を自分の子供だと思うことにした。
自分は、とても子沢山の母親になったのだと思うことにして、それは、大層幸せな思いつきだった。
その頃妹が、たまに、姪っ子のケアを私に頼んできていたので、私は自分の子供が起こしただろう問題を、小さな子供と一緒に考える機会には恵まれていた。
世界中の子供は私の子供だと、一度だけ、子供がいる友人にそれを話したら、友人がほとんど号泣くらいに泣いたので、人には言わないできた。
でも、私と同じような人がたくさんいる気がした。
お母さん成分が余っている人たち。
お母さん成分は、大人に対して向けられると往々にして問題を生む。
過干渉や、やりすぎになることが多いからだ。
お母さん成分は、意外と世の役には立つ。
一生懸命、子供を育てているけれど、物理的な問題で、自分の子供にものを用意できないお母さん達は、世界にたくさんいる。
そのお母さん達を手伝い、子供に必要なものを分かち合うことで、自分も幸せを感じることができる。
割におすすめだ。