10年後
来年のことを言うと、鬼が笑うが、10年後の話だと、鬼はどうするだろう?
前の続きみたいな感じ。
どうしてそれらが不可能だったのかというと、それは国家や権力者だけでは無理だったからだと思う。
加えて、ある程度の物質的な豊かさが、ある程度には広がった後しか無理だったと。
それらの逆のことは、権力を持つ人は起こせる。
過去には多くの権力者がそうしたし、今もいくつかの国では、それは残る。
けれど、それらは、国家だけ、権力者だけでは起こせない。
普通の人々の参加がそれらには必要だ。
それらは、与えられる未来ではなく、作る未来の類だ。
広報は随分前から始まっていて、ニュースを見れば、それの影響を受けて、いろんなことが動いているのが垣間見える。
日本の政策も影響を受けていると思われる政策が、少しずつ登場し始めている。
数年前に、国連から、大項目17、小項目169のきれいでカラフルな目標は出ていて、それは、金の分配の仕方を変えてくださいよと権力者に要求している話にも見える。
もしもそれらが、本当に達成されるなら、地上は楽園にほど近い場所になれる気もする。
ただ、その目標は、どう考えても、権力者だけでは達成できない。
皮肉だなと思う。
どんな権力を持っても、楽園は、権力では作れないなんて。
地獄は簡単に生み出せるのに。
みんなの力が必要だなんて。
みんながどう考えるかにかかっているなんて。
しかも、それらは日常レベルのことが多く入っているから、心理的に誘導はできても、本当にやるかやらないかまでは強制できないだろう。
実際、おそらく、それらの影響で始まったと思われる日本のある改革には、多くのサラリーマンが関係しているが、多くの場所で、その恩恵を若い人達に与えるために、おじさん達が前より働いていたりする。
仕事量が減ったわけでも、会社の仕組みが変わったわけでも、働く人の意識が変わったわけでもないから、特定の人に分配される仕事が増えただけみたいに、若い人を帰らせるために働く時間が以前より増えた側のおじさんが家族にいる私は感じる。
まず、仕組みと意識改革が先かもよ?
でも、きっと、それでは間に合わないから、無理やり始めたんだろう。
国連で吊るしあげられないために。
他のことで、すでに、叩かれているから。
小さな改革ひとつでもそんなことで、つまりは、どれくらいの人が、地上に楽園を望んでいて、どれくらいの人がただ与えられる側でいたいかの、オセロの結果が今から始まる時代なのかなと思ったりする。
オセロは簡単に裏表ひっくり返るから、きっと事態は流動的。
その楽園の先に、ようやく見える世界がある気がする。
2030年に、これまではファンタジーだったその目標を国連が出してくるかどうかが、私は楽しみだ。
生き残りの方法として、過去に取ったのとは違う方法を試そうとしている気配は、今すでにある。
そして、でも、と思う。
それでも、楽園が訪れても、それでも個人の幸せは、個人次第だ。
ある意味、楽園は、今までよりずっと厳しいことになるかもしれない気もする。
自分次第は、多分、一番厳しい。
悪い環境で自分次第と言われる方が、まだましだ。
はあ?と言えるから。
楽園で自分次第と言われたら、そこには逃げ場はない。
そして、恵まれた側にいる人は、それなりに分ける必要もあるから、分けるのが嫌いな人は、奪われるような感覚になることもあるかもしれない。
日本にいるのは、ほとんどが恵まれた側にいる人だ。
そうは思えなくても。
この国は、ほぼ100%の人が、初等教育を受けている。
水道の水が飲める。
災害が起きても、飢饉で死ぬ人はいない。避難所の食事に文句が言える。
全員、健康保険に加入できる。
お金がなくても、診療してくれる病院がある。
道を歩いていて、突然、銃で撃たれる確率はものすごく低い。
お年寄りが、道で野垂れ死していない。
ホームレスに生まれ育つ人はいない。
餓死はニュースになる。
だからって、幸せかどうかといえば、また全然別の話だ。
社会が自分を幸せにしてくれるわけじゃない。
それはきっと何年経っても、変わらないんだろうなと、思う。