メアリーポピンズになりたいから、傘を持って、高いところから飛び降ります。
5歳の私と、今の私は、同じ願いを抱いている。
2人とも、メアリーポピンズになりたい。
ただ、その現れ方は違う。
目をつけた魔法も違う。
5歳の私は、自分が魔法使いではないことに気づかず、メアリーポピンズのように空を飛ぼうとした。
壊した傘は何本か?
母はむちゃくちゃ怒った。
「傘は空を飛ぶためのものじゃないって何回言ったらわかるの!高いところから飛び降りるのはやめなさい!怪我したらどうするの!」
私の願いは、母により、あえなく絶たれた。
この願いを追求し続けていても、私は幸せにはなれなかっただろう。
母が止めなければ、怪我か骨折して終わったに違いない。
また、もしも、私が、空を飛べてしまっても、私もみんなも困ったことだろう。
私が消えてしまったら、きっと家族は泣いたに違いないし、私も、腕が疲れて、どこかで転落したか、なにか。
ハッピーエンドではあるまい。
子供は、自分を知らない。
子供は、知恵が少ない。
だから、絶対に無理なこと、絶対にできないこと、自分が幸せになれないことを願ったりする。
魔法使いの子供に生まれなかったのだから、魔法使いにはなれない。
ファンタジーと現実もごっちゃだ。
子供の願いには、そういうものがたくさんある。
さて、今の私もやはり、メアリーポピンズになりたい。
メアリーポピンズの「ように」なりたい。
メアリーポピンズが、たった一杯のお砂糖で人を幸せにしたように、私も、小さなことで人を幸せにできる、魔法みたいなものを使いたい。
自分にできることで。
自分の能力を使って。
こちらのメアリーポピンズはメタファーだ。
そして、おそらくそれが影響したのだろう仕事が、私の人生の中に、今すでに加わっている。
こちらは、私を幸せにするし、この願いを邪魔するものは何もない。
傘で空は飛んでみたいような気もするが、それは重力があるから、やがて、ドローンに人間が乗れるようになった日に、叶うかもしれない。
私には、理系の頭がないので、他人が叶えてくれることに期待しよう。
理系の頭があれば、傘で空を飛ぶ「みたいな」研究に励んだかもしれないが、私には無理だ。
メアリーポピンズの別の側面なら、真似できる。
そちらをがんばるとしよう。
どちらも、メアリーポピンズだ。
人生の初期、少なからず、誰もが、願いが叶わない経験をする。
だから、願いは叶わないという思いこみが刷り込まれている人は多い。
大人であっても、必要でないものを望むとき、それが叶っても幸せにならないことを望む時、絶対に無理なことを望む時、いわば、幼稚園児が、傘で空を飛びたいと願うようなことを願う時、それはやはり邪魔が入ることが多い。
そういう時は、願いを変容させる必要がある。
実は、その願いは問題だからだ。
その願いが叶った時に手に入るものと同じものを手に入れる、別の願いに変容させる必要がある。
何のために願うのか、その根っこを見てみる必要がある。
その根っこが、本当の願いだ。
セッションで話を聞いている限りでは、その根っこにあるものは、幸せ、楽しさ、喜び、情熱、安心、自信などなどの言葉であらわされることが多い。
傘で空を飛びたいと願い続け、今日も飛べない、今日も飛べないとなるか、それとも、他のことを願うか。
諦めなくていい願いは、子供より大人の方が抱きやすい。
子供時代には、願いが叶わなくても、それは参考にはならない。
もしも親に、諦める練習をさせられていたとしても、それは、もう、今ではないことに気がついた方がいい。
ただ、自分がまだ子供だったというだけの話だ。
願いについては、それを叶えるのは大人の自分だと、はっきり自覚している方がいい。
そして、願いの根っこを知っている方がいい。
これは、以外と影響する。