切り替わったポイント

どこから急に変わったかなと、私は、自分の人生のポイントを探った。

そして、ああ、あそこだ、と思った。

なんだかある日、思った。
自分のことは、終わったな。
今から何やろうかな?
退屈だから、実験でもするか。


そして、私は、人生を使って実験をはじめた。
飛び抜けた才能を持ち合わせない普通の人が願いを叶えたり、幸せになったりする実験だ。

記録を取った。
日記、ようするにブログ。


はじめて意図的にやった実験のお題は結婚だった。
期限は一年。

この成功は大きかった。
私は、私の実験が成功し、周りが喜ぶのを見ることができたからだ。
喜ばなかった人も少しはいた。
他人の幸せが好きじゃない人はいる。
(これは損。理由は後ほど。)


結婚した後、私は、やり方のバリエーションを増やしてみようと思った。

そして、次に実験したやり方は、自分の願いを叶えるために、他人の願いが叶うように先に協力するやり方だった。
この実験のモルモットに採用されたのは、夫だった。
夫は、実験するのに手頃な状態で、ちょうどよかった。

期限は三年。


それが終わった後、私は、自分の過去の願いに手をつけた。
外国で勉強したい。

夫は協力してくれた。

私は思った。
以後、他人の願いを優先しよう。
他人のことを先にやろう。
他人の幸せに協力しよう。

なぜなら、自分の願いを叶えたいタイミングがやってきた時に、その方がスムーズだ。
自分が協力した人達が、みな協力してくれる。
一緒に幸せを感じられる人数が増える。

他人の願いに協力しよう、そうしよう。
仕事ということではなく、いつでもそうしよう。

私はそう思った。
他人のためじゃない。
自分のためだ。
しつこいようだが、私は非常に自己中心的な人だ。

いつかの自分のために、先に、他人が幸せになる手伝いをしようと、私は思った。
今もそうすることが多い。
今の私の願いや夢は、問題解決を含まないものが多く、実現を急がないものが多いからだ。
叶う時にそれは叶う。
そして、叶わなくとも、私自身の人生に大差はない。
叶ったらうれしいが、叶わなくとも困らない。
だから、問題解決を含む願いを持つ人の願いを、私は優先すると決めている。
困っている人を優先する。

幸せな人が増えれば増えるほど、誰もの夢も叶いやすくなる。
幸せな人は心に余裕があるので、他人を手伝うことを厭わないからだ。
この世の全ての人が幸せを感じられる世界になるといいと私は本気で思う。


さて。

私は数年で、大学にもう一度通うくらいの金額を使った。
これは、夫がいなければ無理だった。
夫は、勉強にはお金を好きなだけ使えと言った。
ちなみに彼は、私がいくら使ったかは知らない。
(この人は、お金に興味がない。そして富豪ではない。)


夫の協力により、行った先々で、私は自分の世界観を作り替える作業をした。

そして、私が見た私の新しい世界観は、まだ発展途上ということを知った。
ど真ん中に来たのは、LOVEだった。
そして、HOPEが周りに散らばっていた。
愛と希望。
それが、私の新しい世界観だった。

夢は叶う。
願いは叶う。

そういう世界観。

そして、その時作ったマップが、この数年間の私を動かしている。


ちなみに、黄色いバスの話を、ビジョンを一緒に描いた友人を除いて、はじめて他人に話したのもその時だ。

私の最初の夢のプレゼンは、のんびりした庭で、ひっそりと英語で語られた。

(以降、私は、なんとなくいつか、黄色いバスの話を英語で説明する必要がでてくる気がして、スピーチをたまに練習している。)


そして、日本に帰り、私は、黄色いバスに期限を切った。
期限は二十年。


手前にいくつか、小さなゴールが生まれた。

そして、間に一つ、他人の夢に協力するのをはさんだ。
今は、どっちかというと、こちらの夢のための動きが多い。

五年後に生まれる建物のために、そこでたくさんの大人と子供が笑顔になるために、私はひとまず動いている。

そして私には、その建物は、必ず、黄色いバスとも関係してくる確信がある。
下心しかない(笑)
自分の夢を叶えたいなら、他人の夢が先というルールを、私は使う。

人をどれだけ喜ばせられるかが、全てだ。
 
私は基本、ヨコシマである。
しかし、私のヨコシマは、人の幸せに貢献するので、差し支えない。
私がヨコシマな動きをすると、人は喜ぶ。

いい人、できた人にならずとも、人の幸せや喜びには貢献できる。


というわけで、黄色いバスが本格的に動きだすのは、五年後だ。

つまり、私は、そこまでにお金を用意する必要がある。
せめて、最初の数年の運営資金は確保する必要がある。

ということは、ああ、そうね、ひとまずは世界的ベストセラーじゃなくても大丈夫ね、だんだんそうなればいいわね、と、私の肩は軽くなった。

肩に力が入る願いは修正が必要だ。
今の自分が楽に願えるサイズに調整しながら、自分が行う部分については考えた方がうまくいく。

そして、今回、私が加えた願いの叶え方の新しいバリエーションは、昨日書いた。
神さまに協力してもらうという、太古の昔に編み出された方法だ。

こういうのね、あながちバカにできない。
なぜ太古の昔に生まれた非科学的な話が、今も残っているのか。
私は、神秘としてではなく、別の捉え方をしている。
書いたら、さすがにぶっ飛ばされると思うので、また、どこかでお会いすることがあれば、聞いて欲しい。


ともかく、新しいバリエーションは、ちょっと無理なんじゃないかしら?という部分を、神さまにアウトソーシングするやり方だ。
一般的には、これを、「祈る」という。

自分でできることは自分でやる。
小説を書くは、私、できる。
練習をいっぱいした。
毎日、他人に見せながら、文章の筋トレをしている。


世界的ベストセラーを書く。
私、できない。
だから、アウトソーシング。


願いを叶える実験は、期間を伸ばしながら、バリエーションを加えながら、今日も続いている。


変わりはじめたポイントは、やはり、私が他人に、自分の実験を語り始めた頃からだ。
他人に、人生を分けはじめた時だ。


「分かち合いなさい。愛しあいなさい。」

あなたは正しいと、ジーザスに花を持たせておしまい。
ほら、全部、神さまのおかげだと、私、言い続けなくちゃいけないんで。
(詳しくはひとつ前をご参照ください。)

毎日そう書いても、気にしないでね!笑





























その実験も成功し、