ひとつの望みの理由はいくつ?

心に何か願いや望みが浮かんだ時、人が次に考えるカテゴリーはいろいろだ。
考えることは個人の自由なので、何を考えたってほっといてくれという話だ。

そこをふまえて、書くけれど、もしも、願いや望みを叶えたいなら、理由は後回しにした方がいい。

どうして、これを望むのだろう?
どうして、これを願うのだろう?
どうして、これを祈るのだろう?
どうして、こうしたいのだろう?
なぜ、これが欲しいのだろう?


ひとつの望みや願い。
それを願い、望む時、理由はひとつとは限らない。
そして、理由を頭が理解できるとも限らない。
さらに、理由は必ずしも、重要ではない。


問題や困難を解決するための願いですら、それを願う理由は、表面に現れている問題や困難だけとは限らない。
奥に、自分の好みや価値観、別の問題が隠れていることが多い。
そして、それもひとつとは限らない。

お腹が減った、ご飯が食べたいくらいのことならば、理由は、体が空腹を感じてエネルギー源を求めているとはっきりしているけれど。

でも、ご飯が食べたい時に、どうして自分はご飯が食べたいのだろう?とは考えないのでないかと思う。


理由は過去にある。
願いや望みは、それを願い望む今にあり、願いや望みが叶うのは未来だ。

過去、今、未来をどのような位置関係で配置しているかは、人それぞれだ。
(メタファーで尋ねてみるとよくわかるけれど、個人によって、その位置関係は違う。)

だが、過去が過ぎ去ってしまった時間であることは、誰にも共通だ。
理由は、それが何であろうと、もう、変えられない。

そして、過ぎ去った過去のある一点だけが、望みや願いを生んでいるとは限らない。

望みや願いの理由を探求することが願いであれば、それを過去の中に探求することは意味がある。

でももしも、望みや願いを叶えたいなら、今と未来に、徹底的に集中した方がいい。
どんな理由で望むかは、望みが叶うかどうかには関係しない。

理由は、そのうちわかることが多い。

ああ、そうか。
ああ、なるほど。


自分自身の経験的にも、クライアントさんの発言を聞いていても、望みや願いの理由はひとつではないことが多い。
複雑に絡みあっていることもある。


また、過去に理由を探索する間に、今のタイミングを見逃してしまうことがある。

望みや願いは、叶うタイミングがある。

タイミングは、そんなに何度もないから、しっかり、今だ!という時をキャッチする必要がある。
また、タイミングまでに、準備したり、用意したりしなければいけないことが沢山ある。


思考の時間配分をどのように使うかは、非常に大事だ。

今と未来に、時間を使う方が、願いや望みが叶う確率は確実に上がる。


それをふまえて。

でも、考えることは、個人の自由だ。