孤独

これ、むっちゃ孤独やな。

10年前のある夜、私は、パソコンの前で気がついた。
私は、それまで感じたことのない孤独を感じていた。

ひとりだ、と、私は思った。

それが生まれて初めて感じた、経営者の孤独だった。


後日、私は何人かの経営者にそれを話した。
「慣れるよ」と彼らは笑った。
それで、私は知った。
みな、それを抱えてきたのだと。


またしばらくして、私は気づいた。
自分には大した商才はない。

その頃、父がうるさく口を出していた。
「お前、お金については、お母さんにやってもらえ。お前よりはるかに、お母さんの方が才能がある。」

母は言った。
「さっさと投資しなさい。あなた、なんで、そんなところでびびってるの。」

私は、びびっていた。
なぜならば、その前に、いきなりダイナミックな発注ミスをして、生活費がやばそうなことになり、アルバイトをはじめるはめになっていたからだ。

アルバイト、それは、セッション。
50歳になったらやるつもりだったことを、仕方ないので、私は前倒ししていた。

父は呆れていた。
「新規事業を立ち上げたばかりで、また、新しいことに手をつけるバカがどこにいる。」


数年後、その事業の中のひとつを、私は、結婚した時に、相方さんへ譲った。

残したものは、グラフィック、人材育成、そして、アルバイトではじめたセッション。

私は事業の経営者から、フリーランスになった。

私は思った。
まるで、あれは、事業の立ち上げの仕組みと、経営者の気持ちを知るための数年間みたいだった。

私が数年事業をしたことで、生まれたものは、1組のガラス製品。
私が知ったものは、物の作り方と、経営者の孤独だった。


それから数年。
私は再び、物作りに関わり始めた。
グラフィックを使う物作り。
そして、いつしか、ビジネスコンサルをたまにしていた。

勉強もしていたから、自分のペースでゆるゆると、それでも、それらは続いてきた。


ひとりの孤独は、今はもう感じない。
慣れたし、今は、食う寝るところに住むところは、夫がいる。
気楽なもんである。

そして、私は、時折、単発のチームを組んで仕事をする。
私は、仲間を作りはじめた。

そして、少し未来に、もう一度、固定のチームを作ることを計画している。
その準備を2年前くらいからしている。
今は、人を待っている。



そんな中で、黄色いバスの計画が加わって、私には、新たな個人的野望が誕生したが、私の人生自体は、この仕事をベースに今後も進む。


私個人の人生で、ずるはしない。
私のサイズにちょうどいい人生を、私は歩む。

母には任せないことを選んだ私だが、左団扇を楽しみにしている母に、それをプレゼントできるかどうかは、私が、経営者の孤独に耐えきれるかどうかと、商才のある人々とうまくチームを組めるかどうか次第である。