信仰の薄い者
も〜、怖い!やだ!
ちょっと、どうにかしてよ!
誰かがそう騒いだ時、神さま界の反応は統一されていない。
いろいろある。
確かに、怖い!とかやだ!とかの付き合い方は、いろいろある。
ジーザスは、まず、「はああ、なんて信仰の薄い」とため息をつく。
それからどうするかというと、怖い、やだ!の原因を取り除いてしまう。
ジーザス、優しいけど短気。(個人の感想よ。)
チャチャっと解決しちゃいたい。
弟子の成長は待たない。
とりあえず、やれやという感じ。
しかし、弟子、あんまり真面目じゃないと見え、言われたことをやらないで、よく怒られている。
でも、ジーザスは見捨てない。
私とジーザスのお付き合いの中で、私は、「信仰の薄い者よ」という、ジーザスが呆れた時にいうセリフが、私に語りかける内なる声または空耳、そんなものが聞こえる気、またはそんな気がよくする。
その度、「すみません、てへっ」と私は思う。
聖書の中には、同じようによく怒られてる弟子がいて、私は、その弟子のことを、ほとんど兄貴!と呼びそうな勢いでシンパシーを感じている。
昨日、私は、は〜、やだやだと思う状況にいた。
さっき、やだやだ思ってる暇があるなら、そこにこそ、愛をばらまかんかいと気がついた。
なぜ、笑わない?
そして、ふと、「信仰の薄い者よ」というため息が聞こえた気分になった。
すみませんと、私は思った。
「とりあえず、祈らんかい、祈らな何にもできへんやないか」と、聞こえた気もした。
君が望むことしかやらないよ。
君の仕事は、望むことだ。
つまり、祈ることだ。
さようでございます、と、私は思った。
それから、思った。
あのね、これが嫌なの。
平和がないし、愛がない。
そこに平和をください。
そしたら、気分がすっきりした。
あとは、ジーザスがやってくれるだろう。
だって、そういう約束だからね。
神さまは約束を破らない。