根っこ

結局、根っこは、今も昔もそう変わらんなという結論に、今、私は達しようとしている。

昔から大事だよと言われていることは、ほんとに大事な気がしている。
方法論や手法論、それに伴っている人間の体についての理解は、進化したり、時代に合わせて変わったりする。

より使いやすい、より理解しやすい言葉になっていく。
人間は豊かになってきたから、そのためのアプローチに使えることが増えていく。

昔のように、精神論一本槍でする必要はなくなった。
救えるものは魂だけではなくなった。
精神的な願いだけが叶うわけでもなくなった。

表面は、多彩になった。


でも、そうしようとする時、経済格差ではない格差が存在する。

願いや望みは、お金持ちや賢い人を選んでいるわけでもないから、貧富の差や、頭脳の差は関係なく、願いや望みは叶っている。

けれど、絶対的な格差がそこにはある。

その格差の根っこは、長らく、私の観察対象だった。


最近、たどり着いた私の結論がある。

それは、結局、古い古いこと。


その願いや望みを、信じているか?

未来に希望を抱いているか?

その願いや望みは、人と分かち合えるか?

そして、人間を愛しているか?
これが一番大事だ。
なぜなら、ここは自己受容を含むパートだからだし、願いや望みは、愛すべき人々と共に叶えていくものだからだ。
そして、自分もまた、人間だ。


以下は、今日の宿題パート。

「この世で一番大事なものは、愛と希望と信仰です。
その中で一番大事なものは、愛です。」

コリント人への手紙のどこか。


なぜに、ジーザスが十字架にかけられたかといえば、それは、人間を愛していたからだ。

なぜに、自分を信じろと訴えたかといえば、それは、人間を愛していたからだ。

聖書の中には、願いと望みを叶える方法と仕組みが多く書いてあるが、根っこは、私がたどり着いた結論と似ている。

どんな神さまでもいいし、神はいないかもしれないし、それでも、神すら愛したものを愛さない人は、バカだ。


それこそが、願いが叶う最大の秘訣だ。

人間を愛すること。
人間と分かち合うこと。

未来に希望を抱くこと。
そして、願いや望みを信じること。


それが、幸せな願いや望みを叶えるすべての方法の根っこには、ある気がする。