目撃者に言いふらす
話は続く。
無謀なギャンブルで一発山を当てるという計画をいけると、最終的に私が判断したのは、ある聖書の1節を読んだ時だった。
(私は、聖書を、仕組みを学ぶという視点で主に読んでいる。神さまの偉大さは、聖書を読まずとも知っていて、文字の読める人だけのために、神さまは存在しない。
今更、昔に起きたことには大して興味はない。お話は面白いが、出来事は歴史にすぎず、私が知りたいのは、仕組みだ。
そして、実にたくさんの、仕組みが、そこには載っている。
自己啓発が好きな人は、読むのをおすすめする。)
「兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。
有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。」
コリント人への手紙 第一 1章26~28節
取るに足らない、無に等しい。
私は、まさしく無に等しい!これはまさしく私のことだ!いける!と、私は思った。
私の身に、私がここ数日書いたことが起きたら、それは奇跡以外の何物でもない。
奇跡、それは、ジーザスの得意技だ。
ジーザスは、必ず、人に見えるところで奇跡を起こす。
信じる者の身に、みなが見てる前で、奇跡を起こす。
ジーザスは奇跡が趣味なわけではない。
奇跡は、広報のためにある。
言葉は少し違うが、聖書にそう書いてある。
神のみわざを現すため。
要するに、それは、今の言葉なら、広報だ。
だから、人前でしか起きませんよ。
広報しなけりゃ、起きませんよ、と書いてある。
ちなみに、普通の人がする広報を、あかし、という。
明石じゃなくて、証。
日常にはフィットしない単語なので、私はあまり使わない。
私は、教会かぶれしたくない。
(だから、不真面目だと言われる。)
私の身に起きた奇跡を、私は、いくらでも話す。
それは、神さまのおかげだと、いくらでも話す。
私は、誓った。
思った。
私を選んで!
私は無に等しい!
得たお金を、私は、おそらくはジーザスも好きそうなことに使う。
小さき弱き者たちへ捧げる。
少し、お菓子も買う。
私の中の小さき弱き者たちのために。
名誉はいらない。
めんどくさい。
権威もいらない。
めんどくさい。
そこに集まる人種が、私は嫌いだ。
その人たちは、私を好きなわけではない。
だから、めんどくさい。
私は、名もなき私を愛してくれたたくさんの友達と、これからも名もないままで生きる。
私の人生は、変わらない。
私は、あなたを好きだ。
あなたを信じてる。
ほら、起きないわけがない、と、私は思った。
今、先に書いてるのも、言いふらさなければ、それが起きた時に、後付けになるからだ。
私は、使えるものは、神さまでも使う。
(こういうことを言うから、引かれる。)
願いを叶えるのに、遠慮もへったくれもない。
遠慮が出るなら、それは、そこまでの願いだ。
人目が気になるなら、その人の願いは、人目によく映ることだ。
勇気がでないなら、その人の願いは、その程度だ。
願いを語る時、できるかどうかは、誰も聞いてない。
はっきり言って、関係ない。
やってみて、はじめて、できるかどうかはわかる。
やる前からできないと思うなら、それは、やりたくないだけだ。
どう思われようが、知ったこっちゃない。
私がここまで思うのは、珍しい。
黄色いバスに、私は、どうやら、本気だ。
そして、そこにはお金がいる。
日本で行うチャリティは、寄付金だけをあてにすると、ほとんどぽしゃる。
この国には、寄付の習慣が根付いていない。
多くの人が寄付に熱心になるのは、不幸が起きた時だけだ。
そこを嘆いていては始まらない。
時間の無駄だ。
だから、収入源がいる。
私には、自分の仕事があるから、長きに渡って入り続ける不労所得が必要だ。
私は作家になりたいわけではない。
たった1冊でいいから、お金を生む本が欲しいだけだ。
私の死後にも続くものが。
だから、それは、私にしか書けない。
ともかく、この聖書の中に書いてあるシステムを使うならば、先に書かなければ、この願いは叶わない、ということだけ、私にはわかった。
言いふらさなければ、奇跡は起きない。
どう思われても構わない。
言いふらすよ、いくらでも。
なにしろ、目撃者がたくさん必要なのだ。
そういうシステムだ。
あなたの力で、ことは起きたと、私は言う。
約束する。
一冊でいい。
私に書かせて欲しい。
言いふらしまくると、私は、約束する。
ジーザスはさておいても、目撃者がいたからこそ、これまでの私の願いは叶ってきた節もある。
だから、私は言いふらす。
この夢が叶うまで。